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啓太郞氏が漁業を營んで居たが邦領に歸して武井氏が漁業權を得て現今に及んで居る。此處は往時鱒漁場の處なるも尙今は主として鰊本場の樣に成つた。


三五、フンベオートマリ(北趾邊)

 フンベオートマリの解(通稱)フンベトマリはフンベ(鯨)オー(入る)(トマリ)は(入江)即ち鯨の入る澗、又は入江と云ふ意味で有る。往昔鰊の群來後は能く海岸の入澗に小形の鯨が何頭も入りて遊泳して居る樣に見受られるが、フンベトマリに限ず西海岸の(泊居)にも明治三十二三年頃には何度も見た事が有るが、邦領に歸してより見受ず。併してアイヌは單にフンベと稱し居れば鯨の種類も前述の如く往時は、鯨の此の澗に入るを以つて稱名したので有る。此フンベトマリにも土人が居たので有るが漸次他に轉じたので有る、露領時代に北海道凾館の漁業家故若山政太郞氏が漁權を得て此處に漁業を營んで居たが鱒漁場の處で有る。

 其當時同氏は自己の營業而已ならず(相濱)(榮濱)(內淵)等の土人等にも種々の便宜を與ふるなど樺太漁業界の爲め惜しき氏を大正十一年、春函館の邸宅を最後の別愁を以て第二の(邸)趾邊に於