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三二、オブサキ(南負咲)

 オブサキの解、川口を渡涉すると砂が下に埋るを稱したので有る。昔は此處にアイヌの家が三棟有つた。ホンケ、トキヤサイヌの二棟の外北海道より移住したる山岸翁の家と三軒で有つた。

キムンナイ(喜美內)

 キムンナイ解(山奧の川と云ふ)意義にして往昔此キムンナイを通過して、カルサーゴオ久春古丹に出れば甚だ近道だと云ふ事で有る。又此地は土地頗る肥沃にして農耕地に適すと云ふ。


三三、ノツサン(現野寒)

 ノツサンの意義海に突出せる岬を稱したるものにして明治三十年頃ろ迄はアイヌが住んで居た處で有るが其頃天然痘が流行しアイヌの大部が此の病に罹り死亡せしよりアイヌが此處を捨てゝ、富內及榮濱に轉居したので有る。イヌヌレナイ犬主やアイヌレナイは(安南)其名の通り榮濱以南のアイヌは夏期の鱒盛期に此の二川に至り食料漁をなす處にして、昔は部落で有つたと故老の話で有る。