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 トンナイチヤの意義、トンナイは湖水の流る深き處即ち湖水の中流を云ふ(チヤ)は邊りの意義にして、湖水の邊りの村あるの稱で有る。此處にも昔よりアイヌ部落で有り此湖水には、年々小鯡が栖息して居りアイヌは之を漁して食料となす。又夏期は海に於て鱒を漁する。此の部落は昔戶數は少なかつたが領有後、日本領當時は北海道より移住したる者と在來の者が雜居して樣々に多く住するに至りしなり。此處は甞て白瀨中尉が南極探險隊を組織の際同隊に加はり有名な山邊安之助氏が明治三十七年の頃北海道より移住し、ヤヨマネクアイヌ事日本名、內藤忠兵衞氏が居住する。又故人のヌマルアイヌ現在は山岸兼吉翁(邦人)が一年遲れて住する樣に成つたので有る。

 元の(領有常時)總代酋長は故ラマンテアイヌ邦領改名して富內忠藏が有つた。邦領に歸して山邊安之助氏が總代となりたるものにして、此地の產物は小鯡と鱒等で有つて、明治三十三四年頃頃より現凾館の代議士佐々木平次郞氏が此附近に漁業自營の傍ら部落のアイヌの漁業にも援助し夫れが爲めアイヌも年々幸福の暮しをして居たので有る。又邦領に歸して最初の敎育所は此の富內が始まりで有つた。

(一)領有當時富內に於ける出來事熊祭りの際脫監露人等アイヌを慘殺す