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富內村に至り土人等と前記の顚末を話し故殺すべく相談に及んだが皆も心能く賛成する者が成かつた。此處に於て一度殺意の決心を起した以上は其儘彼等を二回の出船を許さなかつた。よし我一人にても彼等をやつ付けてやると家より銃を持ち來りて一目散に彼等が今盛んに食鹽を繫留の船に餘念なく運搬最中である所へ松之助が銃口を彼等に向け一發御見舞申したので有るから、たまらない、續け打に二三發打つた處が直ちにして二三人其處へ倒した。幸ひ又連發しとう全部射殺して仕舞つた。併して其れらの屍體を船の錨の綱を以て全部連繫て海中に投げ込んだので有る。

 夫してそ知らぬ風して居た處數日を經て不幸にも時化の爲め彼等の屍體は海岸に打ち寄せられたので有る。其處を露人が通行の際發見したので直ちに露官が來りて取調べ部落人に尋問するも、誰も知らぬで押通したので有る。然して露官は一先づ行き去りしが其後又來りて今度は部落の小供等に尋ねたので、小供等は其犯行者は松之助なる事を吿げたので事件が露見したのである。是を以て松之助と市と云ふ土人の外一人都合三人が、カルサーコヴへ護送される事に成つた。

 併して三人が護送される途中一泊する事になり、同夜は其處に皆が宿つたので有るが、松之助の意中今カルサーコブへ護送されると必ず彼等の手に依り死刑にされる事、疑ひない、夫れより一層自殺