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凍結の際は矢の樣な氷がはりつめると云ふ意義である。

 此處は昔よりのアイヌ部落と、露領當時は只一棟有つた。其家主はアイリプンケと呼稱す。又當時は相原氏と云ふ邦人が漁權を得て漁業を營んで居た。

(一)日露交戰中愛郞に於ける露人の掠奪

 出崎松之助氏憤慨して露人六人を故殺して海に抛げ込むなり。

 明治三十七年日露の交戰なるや其年の三月中頃在島邦人は全部樺太島を去り歸鄕したのである。夫れと同時に當地の漁業家相原氏も此處を去るに當り、漁場に存在し有る漁具其他倉庫に滿積したる食鹽等の全部を出崎松之助氏に依賴、保管したので有る。

 然るに露人(榮濱の)が一隻の漁船に六人乘りて此の愛郞に來り倉庫を破壞して食鹽を漁船に積載して悠々として彼等は榮濱に向つて出船したので有る。併るに又第二回の掠奪に掛り、又候愛郞にやつて來たので有る。

 之を見たる、出崎松之助氏の憤慨一方でなかつた。又彼等(露助)の自由に任せたなら、全部運ぶも知れん、一回ならず二回迄も彼等の動作、憎むに餘りあり、此際何んとか彼等を殺すより他に策なしと