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二五、ハツカトマリ(現山下町)
現山下町は土名ハツカ、トマリで有る。其地名を譯すればハツカ(帽)トマリ(入江)(澗)等を云ひ即ち帽子の樣な入江と云ふ名稱で有る。往昔、久春古丹と稱するは此地なるも、クシユンコタンを解譯すればクシユン(川の向ふ)クシ(山越)コタンは國又は村即ち前者は川向ふの村、後者は山越の村との二ツに、解する事が出來る。故にハツカトマリ現山下町は往昔運上屋の所在地で有る。土人部落中の大部落なり。
併して久春古丹の呼稱は鈴谷より大泊間の全體の總地名で有る。現山下町を露領時代はカラサアコウと呼稱し露政廳の所在地である。而して此部落の酋長にはトレバンケアイヌなり。現久春內に居るサツセル、シク、日本名太田幸之進氏は酋長の三男なり、明治八年樺太引揚の際露兵は此山下町の山の上にて禮砲をして敬意を表したと余の祖母が話た。
(一)長官ズウヤーキン氏の狼狽
明治三十七年六月の頃余はアイヌ部落へ下附すべき、スヒーリタ(酒類)を購入すべく、當時酒類