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も明治八年北海道に移住したので有る。此部落の元の奮家として西海岸知來の故苗穗酉之助氏(舊名シカルアイヌ)と其實弟千山國六氏(白濱)の二人は此處の有力者で有る。右二人の父は北海道石狩に於て親族間の些細の事より明治二十八年の夏、自宅に於て切腹したので有るが、七十歲位の老人で有り實に勇しい人で有つた。而して露領時代は此處を、ウトロイパアチと呼稱したので有る。


二四、ウンラ(一の澤)

 ウンラの解、ウンタの變訛で有る。此處は昔何か珍しき物(多くは食物)でも有れば必ず隣や近所へ少しにても分與するを例とす。其ウンタの轉訛で有る。此處も昔アイヌの小部落で有る。此處の舊家は雲井卯助氏(現白濱部落に居る)四五年前に病沒した。又雲井高造氏等が此處の有力者で有つた。併して露領時代は露人の經營せし漁場一ケ所此一、二、三の澤の漁場の經營者は露人の漁業家として、久春內の勢力家ベーレチ氏と相對するカレマレンコ氏なり、又領有以後は印、武井氏が鰊經營し年々豐漁場として知られてゐる。武井氏の漁場は現一の澤に有り。