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突き取るので、スヽヤカパリウ、鈴谷鰈として有名で有る。此スヽヤの舊家に柳凾才次郞氏(來智知)柳瀨西平氏及柳瀨野助氏(多蘭泊)等が現存して居るなり。


二二、エンルモロ(三の澤)

 エンルモロの解、海岸は入江となつて岬を週るの意義なり。昔は小部落で有つた。昔より鰊の群來場で有り露領時代露人の漁場と思ふが此處に有つたのみで此處の元の舊家としては、明治八年北海道へ移住したスウカ、ナリ、アイヌ、日本名遠藤芳造氏は此處の生で有る。氏は北海道移住地、對雁村小學校に入り同校卒業補習科に入り後助敎員として同校に採用せられ後辭して、實業界に入り本島領有後、西海岸知來に來り歲四十二歲にして病沒したが惜しい人物で有つた。


二三、チシナイボトマユナイ(二の澤)

 チンナイボは(解)往昔のアイヌは此奧より舟の材料を下げたるを以て命名したので有る。此處は昔鰊の集來地で有り、露領時代は僅か漁場が三棟より無く內に、露人も一ケ所有つた。此處のアイヌ