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を葬るなり、葬禮をウタラアシンと云ふ。一家に死者あれば其屍を家の一旦高き所に(平素主人)の寢所に足を表に、戶口の方に向け頭部を家の奧の方に向け長く置く、直ちに假裝をさす、顏面には綿布を以て包纏し其間に親族知己に報ずる。而して、親族知己が遠近にかゝはらず集合すれば先喪主、主婦が泣きながら死亡の顚末を述ぶるなり。左すれば來會者も泣きながら死者の生前の事柄を答ふ暫し、斯して一の應答を終へる、之に遲れ來る者あれば喪主又是に應答す。是は多く婦人を以て行なふも壯年以上の男子も加ふ。式終れば第一婦人は死者の服裝の凖備(總て新調)に收掛るなり。又男子は棺、其他墓標等に取係る。(ニイカラ)棺箱又ボロニ棺を埋其上に載せたる種々の彫刻を施し男子の作による物である。之等男女の作製に依る仕事は大凡二三日より五六日間に終へる。然して此間に遠方の知己が打寄近親者遠里なれば其來會を五六日間を待、往時は交通不便なるが故に五六日間を待ち夫れ以上は待事なく出棺に掛るのである。斯くして總ての凖備大牛終れば、通夜(オシリコトーノ)を營む。此通夜にはハウキ歷史物語に節を付けたるを語り、五本糸の三味線(トンコリ)を引く。而して此三味線は平素は用いる事なく、悲哀の慰に之を用ひ誠に小美音の樂器である。通夜が濟み愈々出棺の朝、太陽が未だ出昇らざる內に、前に述べたる如く喪主が最後の御別れとして泣く。親族知己又之に應じて泣ながら御