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ちに銃の引金に指を掛けるとドンと一聲彼は其處に打倒れて仕舞つた。斯くして其死體を、ニオーナイボ、コモシラロロより久春內續きの小川より約三丁程北部に當る海岸高地に埋たのである。殺害された妾の弟で翁の甥に當る身長六尺近い大男にして、ニシトランケと云ふ者現にライチシカに居る。


一三、アイヌの住家と生活狀態

 アイヌ等の越年の家は穴居である。每年秋に至れば夏期の家より冬期の家に轉居するのである。此の土の家は大さ二間半或は三間半位なり。三間半位の四方を、又地面より四尺位の深さに掘下げ、周圍は、木又は板を以て圍ふ、屋根はタル木を列べ、其上に草や木を覆ひ其上に土を積んで造る。入口は屋根の下部に作り、階段を附けて出入する。窓は屋根の後部に設ける。家の內部入口の左端には、ヘツツイを設け暖を取り、又煮焚の用をなす。中央の入口に接したる所に、小さな爐を設く、ござを敷きて座敷きとする。入口左翼が主人の席となつてゐる。明治三十四年頃始めて露西亞式の丸太造りの家がアイヌ等仲間に建設される樣に成つた。之を越年の家として夏期も住むなり。