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 露政時代は一人も此所に住んで居なかつたのであるが邦領に歸して再び人の居住する樣になつたのである。ライチシの湖には種々の魚類棲息し春秋には種々の鳥類が可成り居る。又此の湖は東海岸內淵の白鳥湖とは姉妹湖であると云ふ、ウソロには露政時代は廿戶位の部落があつた。露國人ベーレチ氏は此所の殿樣の樣である。北海道凾館より多くの邦人漁夫を每年四月中旬雇ひ入れる。昆布や鰊の採取には朝鮮人を使用してゐる。彼は相當の經營をやつて居た。勿論アイヌも其部下のもとに使役されてゐたのである。此の部落の酋長にはチエトイカニシプニと云ふ有力者が居る。

 以上樺太南部より西北部北方のウソロ迄を記述したるものであつてウソロ以北にポロコタンと稱する處には、レプナイヌと呼稱するアイヌが住んで居るが彼等はウソロアイヌと血族關係を持つて居ると云ふ。


一二、明治三十二年露人の暴行

 此の話はコモシラロロのチウカランケ翁が鰊漁業の爲に北コモシラロロに移つてからの出來事である。明治三十二年頃チウカランケ翁には本妻と妾の二人を持つて居たのである。その本妻はウトンカ