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したと言ふが、彼は六尺豐かな大男であつたと


一一、酋長の名及び部落

 往昔に於ける東西海岸の主要部落、白主をシラヌシと呼んだそれはシシランウシを簡單に呼んだものである。酋長としてウメヲ故東山梅尾氏の先代や西海岸智來部落に現存して居る白藤勘作氏の先代は其部落に於ての人望家であつた。又トマリボケシと呼ぶ所あり、酋長にはシノトシクの先代が居た。現代多蘭泊は邦領に歸して眞岡の酋長として同地の有志(日本名)西崎仁四郞氏があつた。泊居の酋長にはサンバクサイヌ氏又其子のトマケシランケなる者現存す。又ナヨロの酋長にはシルクランケ氏であつた。久春內の酋長としてチウカランケなり。

アシケトク兄弟の部落

 オタスス部落にはアシケトク兄弟の住家が二棟あつた。往昔のアイヌは此の來知志湖に部落をなして居たと云ふ事であるが其の名の如く往昔は此所に於て何か事變のあつた如く想へる。何故なれば其地名を解すればライは(死)チシカは(泣いた所)と云ふ意味であるからである。