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一〇、米食の滑𥡴談一靑年

 餘言乍ら米飯に附いて一滑𥡴談を記して見よう、邦領當時余の宅にオハコタン(眞縫)のイベサツと言ふ老人が遊びに來て居た其の所へ來りし邦人の一靑年があつた。雜談交す事數時間の後突然彼の靑年は「おいアイヌお前は米の飯を食つた事があるかね」と言つた。老人答へて曰く「お前は何時生れたのかね俺は此の樺太に伊達栖原の頃に來たよ、其時より米の飯を食つてな今腹の中で笑つてらあ」と應戰の一矢を放つた。靑年は無言の儘家を出て行つて仕末つた。斯の老人の應答は非常に功を奏した。此の老人に附いて面白い逸話がある、老人の壯年時代眞縫のオハコタンに於て鱒の燒干を燒く中に一回燒き上げる度に一尾づゝを食し七回燒きたる時は七尾の鱒を食つて居た。そして家外に出で小川の水を呑んだがその川の水を飮み盡したと云ふ豪傑であると、川の水を飮み盡した事は評だけのものであらうが七尾の鱒を食つた事は事實だと云ふ。

 又其祖父にチンケウシクと云ふ(今より百年前の人)當時大和船の船員が通行の際に彼が網を張りをきたるを覆したるのに憤慨し船員全部(八名)を彼は相手にし格鬪に及んだが遂に船員全部を擊退