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の建物及び漁船漁具等の重要品の保管の爲保管人(邦人にして是等を稱して栖原の番人と云ふ)を樺太に居殘らせ越年させるのである。其關係上番人の食糧其他翌年の分迄保存されてある。それが彼等番人に過分の程度であるが故其米より何分か讓り受けて冬期若干の米食が出來得るのである。讓り受けたる米を植物及び果物に混入して食するのである。

 斯くして番人が本島に越年する中に自然アイヌと親しみ又婦女子と關係を結ぶ樣になりて子供を產み現代其混血人が生存して居る。前述の如く番人其他邦人に嫁したる者は內地人同樣に米食には不自由なく生活して居た。又當時の酒は淸酒、濁酒、燒酎等が重なる酒類であつて麥は餘り用ひられなかつた。


九、樺太島―千島の交換

 明治八年露國と樺太千島の交換に際し樺太一部のアイヌが北海道へ移住し米飯其他の穀物を常食とするに至り、殘部のアイヌは露人が、パン食の關係上麥粉パン(露人の燒きたるもの)を食するに至れり。