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二、アイヌ呼稱に就て

 アイヌ間には樣とか殿とか言ふ敬語の意味に於て何某アイヌと言ふ語を用ひられ例へば內淵部落のケーランケアイヌ、相濱のバフンケ、アイヌ、同所のシレクアイヌ、小田寒のサルシアイヌ、大谷のハススエ、アイヌ、泊居のサンバクサイヌ、富內のトキヤサイヌ、眞岡のテントルバアイヌ、久春古丹のテンベレ、アイヌ、白浦のフンカアイヌ、と言ふが如し、敬語名詞として多く用いられるなり、又アイヌと云ふ名詞は人間又は人と言ふ意味にも用いらる。例へばタラアイヌ(彼は)タナイヌ(此の人)又はタンアイヌ(此の人)ヘンバ、アイヌ(何人か)タラーワ、アイヌエキ、ヒタカ(向ふより人が來たりしや)等の如し、又婦女子には『マ』を用いられる。例へば眞岡のイトコウンマ、同カネマトンケマ、石狩のサランマ、同サマンマ、相濱のチユサンマ、富內村のカユンケマ、露禮のビラサンケマ、內淵村のシコシコランマと言ふが如く而して上長の貴婦人カパケマ、主婦をチセコロ、マハネク、老婆をバアコ、又はオンネル、マハネク、少女をシユクフ、マハネク、老人をチヤチヤ、又はオンネル、アイヌと云ふ、靑年はシユクフ、オツカヨと呼ぶ。