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サマハチカンネ(透を狙い)アイヌチアマハ(アイヌの寶物を)ウフテ(取て)アイヌチシシン(尤も速かの早き舟)オホテ(來りて)アトイイカ(海上)アンベ、ネトン、ネカーネ(一瀉千里の勢ひで)エチボーテ(漕ぎつけた)ネヤケ、セケタ(其後で)チセコロアイヌ(主人が)ホシビワ(歸つて)ヌカラヤイケ(見た處が)チアマハナー(寶物が)チシナー(船も)イサン、ルエアン(無くなつてゐた)タンベク、シユ(それだから)オヤチシ、アニ(別の船で)テーコロアナハシユブアニ(一生懸命に)ノシバヤツカ(追跡したが)エヤイコヤークシテ(力及ばずして)テーコロ、エラムウエンテ(大いに怨を吞んで)チセオホツタ(家に居る)ホシビマヌイ(歸つて來たと言ふ話だ)此の一說に寶物の中には書類があると言ふ傳說あり。

評 義經が逃走したる方向は何處の方面であるか、一說には滿洲方面と言われる、以上は北海道石狩より歸島せるアイヌヨーチシチと言ふ故老人の說なり。

 尙著者はかつて北海道沙流に行きたる事あり、沙流郡平取に於て義經神社を建設してあり一日同社を酋長故ベンリ氏の案內にて參拜したる事あり。