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樺太とす、人口僅か二萬人(最近の調査)なり。

 不肖明治八年の年四指を折つて北海道に移住し、明治二十八年再び墳墓の地に臨したのである。其當時より我が日本帝國の大業は日進月步國勢の進運は增々進展して日露の開戰となり、我が皇士の向ふ處敵なきの勢力にあり、世界各國をして增々感恐せしむるに至りしなり。然して明治三十八年に於て樺太島を我が皇士の奮鬪に由り大日本帝國の領土に歸し我がアイヌ民族も再びモシリカムイ、イレンカに浴し奉るは誠に感銘に堪えざる次第なり。

 時勢の進運に伴ひアイヌ民族も今や此の光輝ある大日本帝國の御聖恩に浴するの馴化を受け舊習を脫せんとしつゝある今日に於て本書を起稿し、永遠樺太アイヌの遺風を參考に供せんとす。

昭和四年

元樺太內淵敎育所敎員

千德太郞治