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信局、寺院之は各所にある。

(二)交通

 カルサーコウよりドブキ間は夏冬共、馬車便である。而して其間の主要農村部落には一村又は一村をき位に官設の馬車を置き、長官以下の高等官又は他より來島する高官級の本島視察の貴賓方の御用馬車として、一ケ所に、二頭乃至三頭位の馬と車は設備され何時にも用ゐられる樣に、馭者も各所に置く、而して一度馬車を出せば次の設置所迄馬を一生懸命駈走ので次々と順番に馬車を出すのである。

(三)通信

 本島より外へ出される郵便物は夏期一ケ月一二回位の船便にて出入される。當時明治三十三四年の頃日本の定期船は月一回位、函館迄迴航され他は皆社外船つまり漁場の雇船は漁期間の迴航を見るのみ、冬季の郵便物はカルサーコウよりナイフチ迄村から村へと順送りとし、內淵よりシシカ迄、犬橇便にて送る。又シシカよりアリキサンドル迄馴鹿にて送るのである。アリキサンドルより發する郵便物も前記の順に送るのである。而して當時の運搬賃は馬車や馴鹿にあつては、大泊よりシシカ迄百圓以上である。又犬橇にありては重量三十貫以內即ちタプート內外である。夫れが犬橇一臺の積載重量で