Page:樺太アイヌ叢話.pdf/122

このページは検証済みです

水にも珍魚が棲息し居ると云ふ。シシカや此附近は鱒鮭の本場で有る。記事が後に成るが、露領時代のシシカは海濱に接するシシカ川の河邊には露人の部落があり、漁業を營み今日の盛況を見るに至つたのである。


五五、タライカ 以北 チルエサン

 往昔は餘り世上に知られず、領有後、漁業の爲め同地に行く者多きに至り、鰊、鰈等の良漁業地である。以上にして、東海岸の稿を終りとなす。更に左の記事を揭載する事とせり。


五六、露領當時の行政の槪略

 露領時代の行政は、ハブロフカ廳が監督の下に、第二區カルサーコヴに行政廳を置かれ、南樺太の行政事務をナチヤーニク、オークルカ長官、二區長官が行政事務を執行されたのであるが事務は長官補佐官が之を行ふ、カルサーコヴに於て萬端の事務を行はれたのである。

(一)カルサーコウに於ける露政廳の建築物

 行政執務所、裁判所、警察署、監獄所、病院、兵舍、郵便電