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 出張所長安川喜多治氏、小松直之進氏(榮濱)以上土人漁場の選定當時の行政官であるを以て此處に記載する事にした。

 尙當時の各村出張所長は不詳に付き茲に略す。併して此の內路は邦領に歸して一時此處に守備隊を置かれ當時非常な盛況であつた。當時の有力者は知己の「家田三太郞氏」である。此處も將來農業地として有望である。


五四、シシカ(敷香)

 シシカの(解)シシ(目、眼)である。カは上即ち、目の上、と云ふのである。著者は其解に苦しむ然れ共目の上と解するより目の前と、(解すれば)前に海豹島あり、カムチヤツカ有り、と解すれば得策と思ふなり、併して維新當時(栖原時代)前稿、榮濱の部に記載したる如く、夏期は榮濱方面の土人は漁船に乘じて此のシシカ迄出漁に出掛るのである。

 余が幼年明治二年の頃此シシカ迄父母に連れられて、和船「べんざい」にて此處迄來たと云ふ事を聞いたが夢の如くに覺えてゐた。