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事夥しくアイヌは此處に食料魚を漁するのである。露領時代は此川の奧に農牧を營んで居る露人の部落として良い方であつた。電信局も有つた當時內山吉太氏(前代議士)の場所であつた。

 邦領後殘留の露人が居た此處も將來有望の地である。鱒專門の所であつたが、鰊も取れる樣になつた。

(一)フレチシ(婦禮)

 フレチシの(解)フレチウシの轉訛である。海中棲息し居る海虫類の名を付けたのである。此處も露領時代內山吉太氏の漁場で有つた。其昔此處に土人家が二棟あつたと云ふ。鰊漁共に好漁場である。


四九、モツトマリ(元泊)

 モツトマリの(解)モートマリの轉訛モー(靜な)トマリ(入江)卽ち靜かな入江と云ふ意味。

 此のモツトマリは昔より土人が住んで居て、露領當時は五六棟あつた。此處も內山吉太氏の漁場で鰊、鱒の大漁場である。

 露領に歸して、豐原支廳出張所であるを現在は元泊支廳の所有地にし將來有望の地として見られて