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四七、ヌブリポフ(登保)

 ヌボリの(解)高い山(ポフ)海岸の少しく高き所を、名付たのである。此處は土人の鰊食用として昔は此處で獲つて居た所である。又チカホロと「登保」との間に、前凾館の代議士內山吉太氏の漁場も露領時代此處に有つた。登保は露領時代角野氏が漁業を營み大漁場として知られた所である。

 邦領に歸して邦人部落となり此村の有志で、崎元省三氏は(元土人等)に非常に盡された方である故に同村にても有名な士である。

 此村は元石炭の主產地であつたが此頃石炭は中止されたる模樣なるが將來は有望の地である。登保とマクンコタンの間に高い絕壁があり、海岸通行の際は非常な難所で有り又危險な所がある。其處を通りて漸くマクンコタンに着くのである。


四八、マクンコタン(馬群潭)

 マクンコタン(解)(山奧の村)昔此川の奧に土人が住んで居た所である。此川は鱒、鮭の遡上する