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の御使か兎に角是か非か彼の鳥の言ふ事を聞いて歸るとしよう、と一人言を云ひながら歸途に就いた處が穴の中に、三日間も居たと云ふ餘り長道中した爲め用意の食物も殆どなくなつた。と思ふ內にパアツと明るくなり元の道へ出た。安心して村「チカホロ」へ歸つて見た處が其前(村の前)に大きな岩が高く聳立つて居た。夫れから此岩に鳥が宿り、玉子を產む、其玉子を土人が每年取來りて食すと云ふ。邦領當時迄其玉子を食して居た者である。以上の傳說の話(トツス)岩の穴の稱なり。


四六、チカボロナイ(近幌內)

 チカボロナイ又はチカベロホナイとも云ふ。チカは(鳥)ベロホナイは(澤山居る川)と云ふ。然れ共此川に鳥が居るに非らずして、沖の巖窟に鳥が澤山宿るのである。

 此のチカボロナイは昔より土人の住んで居た處である。此處は旣に述べた昔(ワーレ)に於て船員を降伏させたチンケユシクやイベサチアイヌは此の「近幌內」の土人である。

 此のチカボロナイ川も鱒の遡上する川である。邦領に歸して、五味平作氏邦人の驛締が此處に設置されたのである。