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其の日午前中は海上平穩で有つたが正午より、東北風が激しく吹き波浪も益々强くなつて來た。其爲め舟を陸岸に寄せる事も出來ず其內終に舟は「アツ」と云ふ間に顚覆して哀れ彼等六人は海の藻屑となつたので有る。

 夫れが爲め彼の二棟の家は舊慣に依り直ちに倒壞したので有る。邦領に歸して大正三年頃より同地附近に榮濱の有志村岡久松氏は此處に木工場を設置し事業を盛大に發展せしめてゐる。

 併して此處に最近邦人の移住民多く住するに至り一の村落となりたり。

露領時代富內に於ける土人熊祭の際土人を慘殺し逃走せし脫監露人の殘り三人を射殺す

 富內にて土人を慘殺したる十六人の露人の內十三人を富內にて土人が其敵討として射殺したが殘りの三人は小田寒と眞苫の間に出沒した。夫れと云ふので、相濱の木村愛助氏の實兄シレクアイヌ、眞苫の土人テクフンカアイヌ今一人のアイヌの三人が弓と槍を持ちて、敵の三人を進擊したのである。

 シレクアイヌは突然槍を以て一人の橫腹を突き他の二人は又弓をもつて、敵の各一人づゝに矢を射放した。敵の逃げんとする處を追擊して終に二人を其場で射殺したが、今一人の敵は橫腹に命中した