Page:成沢玲川『米国物語』.djvu/114

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日本飯のほかに同胞がしやうするものは支那料理である。支那料理屋はじゆん式 で室內のさうしよく、家具及食器等悉く之を本國より取寄せ、のうこうな支那趣味をはつ して居るが、くつままあがつて椅子テーブルをもちふる點は日本よりも西洋に適して 居る。米もアンペラつゝみの支那米を態々わざ本國から輸入し、諸原料も殆ど米國品は 使つかはない。日本人の多き太平洋沿岸に在つては、彼等は日本町の附近にみせまう け、同胞及白人のとくを以て營業して居る。西洋人は日本料理をはぬが、 支那料理は調理法のふくざつな點と、ばうぶんおほい點から彼等の口にてきすると見え るが、日本人はすこぶしゆで、和漢洋食の風味を解し、米人のはぬなまうをさし )を喰ひ、リー人の好む章魚たこあじはひ、かうひんに於ても何でも風味を解する 點より見ると、和漢洋の文明をしやくし、ぐわんし之を消化し得る唯一の國民のや うに思はれてこゝろつよくもある。