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を祕史より​取​​ト​らんが​爲​​タメ​に、​先​​マ​づ祕史を音譯 語譯 文譯したるなり。その​目的​​モクテキ​は、蒙古の​史​​シ​を​考​​カンガ​ふるに​在​​ア​らずして、蒙古の​語​​コトバ​を​考​​カンガ​ふるに​在​​ア​りき。原文に人の名 ​地​​トコロ​の名 ​部落​​ブラク​の名などあまた​重​​カサ​なれる處を、譯文には​只​​タヾ​その一つを​擧​​ア​げて、その他は​只​​タヾ​「​等​​ラ​」の​字​​ジ​ 又は​幾人​​イクニン​ ​幾部落​​イクブラク​などの語を用ひて​略​​ハブ​きたること​多​​オホ​きは、これが​爲​​タメ​なり。

 語譯 文譯の​中​​ウチ​に、音譯の​忙豁勒​​モンゴル​​Monghol​蒙古を​達達​​タタ​と、​撒兒塔兀勒​​サルタウル​​Sartaul​中亞細亞の莫哈篾惕 敎徒を​囘囘​​フイフイ​と、​中都︀​​チユンド​​Chungdu​〈[#左ルビの「Chungdu」は底本では「Chuugdu」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉金の中都︀ 今の北京を​北平​​ホクヘイ​と、​北京​​ペキン​​Peking​金の北京、今の喀剌沁 右翼を​大寧​​タイネイ​と、​南京​​ナンキン​​Namking​金の南京、今の河南 開封府を​汴梁​​ベンリヤウ​と譯したるが​如​​ゴト​きは、明人の譯なることを​察​​サツ​するに​餘​​アマ​りあり。​殊​​コト​に​金​​キン​の​中都︀​​チウト​なる今の​北京​​ペキン​を​北平​​ホクヘイ​と云ひたるは、​明​​ミン​の​成祖︀​​セイソ​の​遷都︀​​セント​の​前​​マヘ​に​限​​カギ​れる名なれば、この譯本は、洪武の史官の手に成れること​疑​​ウタガ​ひなし。又 音譯の中にも、二人なる​阿兒孩 合撒兒​​カルカイ カツサル​​Arkhai Khassar​と​巴剌​​バラ​​Bala​とを一人の​阿兒孩 合撒兒 巴剌​​アルカイ カツサル バラ​とし、​捏兀歹​​ネウダイ​​Neudai​ ​部​​ブ​の​察合安 兀洼​​チヤカアン ウワ​​Chakhaan uwa​を​或​​アル​は​捏兀歹​​ネウダイ​と​察合安 兀洼​​チヤカン ウワ​と二人とし、​或​​アル​は​捏兀歹 察合安 兀阿​​ネウダイ チヤカアン ウア​と云ふ一人の名とし、​塔塔兒​​タタル​​Tatar​部名の​阿勒赤 塔塔兒​​アルチ タタル​​Alchi Tatar​塔塔兒の分部の名の​札鄰不合​​ヂヤリンブカ​​Jalinbukha​を​塔塔兒​​タタル​の​阿勒赤​​アルチ​と​塔塔兒​​タタル​の​札鄰不合​​ヂヤリンブカ​と二人とし、​翁吉喇惕​​オンギラト​​Onghirat​の​迭兒格克 額篾勒​​デルゲク エメル​​Dergek-emel​を​迭兒格克​​デルゲク​と​額篾勒​​エメル​と二人とし、​乃蠻​​ナイマン​​Naiman​部名の​古出兀惕 乃蠻​​グチユウト ナイマン​​Guchunt Naiman​乃蠻の分部の名の​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​​Buirukh Khan​を​乃蠻​​ナイマン​の​古出兀惕​​グチユウト​と​乃蠻​​ナイマン​の​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​と二人とし、​西域​​サイイキ​の​罕篾力克​​カンメリク​​Khanmelik​と云ふ人を、音譯には​罕​​カン​と​篾力克​​メリク​とを​離​​ハナ​して書き、​罕​​カン​