Page:成吉思汗実録.pdf/359

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非なり。撤合輦 强伸の傳に據るに、この時 洛陽は圍まれたるのみにて、下らざりき。殊に强伸の苦戰して守りおほせたる忠勇の働きは、名高き談なりしをや。元史「三月、命速不台 等南京。金主遣其弟曹王 訛可入質、帝還、畱速不台河南。夏四月、出居庸、避暑︀官山。」曹王 訛可は、哀宗の弟に非ず、哀宗の弟 荆王 守純の子なり。金史「大元遣使自鄭州來諭降。庚子、封荆王子 訛可曹王、議以爲質。壬寅、尙書左丞李蹊送曹王出質。諫議大夫 裴滿 阿虎帶、太府監國世榮爲講和使。戶部侍郞楊慥、權參知政事、分軍防守四城。大元兵攻汴城。上出承天門、撫西面將士。癸卯、上復出撫東面將士、親傳戰傷者藥。夏四月丁巳、遣戶部侍郞楊仁、奉金帛大元兵和。戊午、又以珍異往謝和。乙丑、百官初起居于隆︀德殿前。丁卯、汴京解嚴、步軍始出封丘門薪蔬。己巳、建威都尉 完顏 兀論、同大元使 沒忒城。庚午、見使臣於隆︀德殿。六月乙亥、左丞李蹊送曹王、與其子仝俱還。」

山川の神︀の崇り

そこに​斡歌歹 合罕​​オゴダイ カガン​は、​病​​ヤマヒ​に​取附​​トリツ​かれて、​口舌​​クチシタ​[の​用​​ハタラキ​]を​失​​ウシナ​ふほど​艱​​ヤマ​まされたるを​師巫​​カンナギ​の​占者︀​​ウラナヒジヤ​に​占​​ウラナ​はせたれば、​乞塔惕​​キタト​の​民​​タミ​の​地水​​ツチミヅ​の​主王​​ウシギミ​だち(地主の神︀だち 水主の神︀だち、卽 山川の羣神︀)は​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​を​掠​​カス​められ、​城​​シロ​ども​郡​​クニ​どもを​壞​​ヤブ​られて、​嚴​​キビ​しく​祟​​タヽ​れるなり。​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​ ​金​​コガネ​ ​銀​​シロカネ​ ​馬羣​​バグン​ ​糧食​​リヤウシヨク​を​身替​​ミガハリ​に​與​​アタ​へんとて​禳​​ハラ​へば、​釋​​ユル​さずして​愈​​イヨ ​嚴​​キビ​しく​崇​​タヽ​れり。​親族​​ウラカ​の​人​​ヒト​より[​身替​​ミガハリ​せば]​可​​ヨ​からんかとて​禳​​ハラ​へば、[​釋​​ユル​したり。]​合罕​​カガン​ ​目​​メ​を​開​​ヒラ​きて、​水​​ミヅ​を​索​​モト​めて​飮​​ノ​みて、「いかに​爲​​ナ​れる」と​問​​ト​はれて、​師巫​​カンナギ​ ​奏​​マウ​さく「​乞塔惕​​キタト​の​民​​タミ​の​地水​​ツチミヅ​の​主王​​ウシギミ​たちは​地水​​ツチミヅ​を​壞​​ヤブ​られ、​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​を​掠​​カス​められて、​嚴​​キビ​しく​祟​​タヽ​れるなり。​別​​ホカ​に​何​​ナニ​にても​身替​​ミガハリ​に​與​​アタ​へんとて​禳​​ハラ​へば、​愈​​イヨ ​嚴​​キビ​しく​漸​​スヽ​みたり。​親族​​ウカラ​の​人​​ヒト​より[​身替​​ミガハリ​せば]​可​​ヨ​からんかと​云​​イ​へば、​釋​​ユル​したり。​今​​イマ​ ​聖旨​​オホミコト​ ​知​​シロ​しめせ」と​奏​​マウ​せば、​勅​​ミコト​ありて「​御前​​ミマヘ​に​諸︀王​​ミコダチ​より​誰​​タレ​かある」と​宣​​ノリタマ​へば、

​拖雷​​トルイ​の身替

​拖雷​​トルイ​の​王​​ミコ​ ​御前​​ミマヘ​に​居​​ヰ​て​申​​マウ​さく「​福︀​​サイハヒ​ある​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​我等​​ワレラ​の​父​​ミオヤ​は、​上​​カミ​に​兄​​アニ​だち​下​​シモ​に