Page:成吉思汗実録.pdf/356

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​統​​ス​べざる​諸︀王​​ミコダチ​、​萬戶​​バンコ​ ​千戶​​センコ​ ​百戶​​ヒヤクコ​ ​十戶​​ジツコ​ (卽 牌子頭)の​官人​​クワンニン​ ​等​​ドモ​あまたの​人​​ヒト​、​誰​​タレ​なりとも、その​子​​コ​どもより​兄​​アニ​を​出征​​シユツセイ​せさせよ。​公主​​ヒメミコ​ ​駙馬​​ムコギミ​も、​同​​オナ​じ​理由​​リイウ​によりその​子​​コ​どもより​兄​​アニ​を​出征​​シユツセイ​せさせよ」と​勅​​ミコト​ありて、​又​​マタ​ ​斡歌歹 合罕​​オゴダイ カガン​ ​宣​​ノリタマ​はく「この​亦​​マタ​ ​子​​コ​どもの​兄​​アニ​を​出征​​シユツセイ​せさする​理由​​リイウ​は、​察阿歹 兄​​チヤアダイ イロセ​より​起​​オコ​りしぞ。​察阿歹 兄​​チヤアダイ イロセ​ ​言​​イ​ひて​來​​キ​ぬるに「​速別額台​​スベエタイ​の​後援​​ゴヱン​に​子​​コ​どもより​兄​​アニ​ ​不哩​​ブリ​を​出征​​シユツセイ​せしめたり。​子​​コ​どもの​兄​​アニ​ ​出征​​シユツセイ​すれば、​軍​​イクサ​ ​盛​​サカン​なり。​出​​イ​づる​軍​​イクサ​ ​多​​オホ​くなれば、​顏色​​カンバセ​ ​高​​タカ​く​勢​​イキホヒ​よく​行​​ユ​くなり。​彼方​​カナタ​の​敵人​​テキジン​は、あまたの​國​​クニ​あり、その​鋒​​ホコサキ​は​剛​​コハ​く、​彼等​​カレラ​の​民​​タミ​ ​怒​​イカ​れば​己​​オノ​が​器︀械​​キカイ​に​死​​シ​に、​彼等​​カレラ​の​民​​タミ​は​器︀械​​キカイ​ ​銳利​​エイリ​なりと​云​​イ​はれたり」と​云​​イ​ひて​來​​キ​ぬ。」​斡歌歹 合罕​​オゴダイ カガン​ ​宣​​ノリタマ​はく「その​言​​コトバ​につき、​我等​​ワレラ​の[​考​​カンガヘ​に]も、​察阿歹 兄​​チヤアダイ イロセ​の​著︀實​​チヤクジツ​なる​力​​チカラ​に​依​​ヨ​り、​子​​コ​どもの​兄​​アニ​を​出​​イ​さんとて、​處處​​トコロドコロ​に​宣布​​センプ​して​巴禿​​バト​ ​不哩​​ブリ​ ​古余克​​グユク​ ​蒙格​​モンゲ​を​首​​ハジメ​とせる​諸︀王​​ミコダチ​を​出征​​シユツセイ​せしむる​理由​​リイウ​かくありしぞ」[と​宣​​ノリタマ​へり。](

西征の諸︀王 十一人

この西征の諸︀王は、多遜の史に、巴禿 等 四人の外 七人の名を擧けたり。卜咧惕施乃迭兒 曰く「塔哩黑 只杭庫沙亦 札米兀惕 帖伐哩黑に據るに(原注。多遜 第二 第六九九頁 以下)、斡歌台 汗の世に集められたる第二(太宗 七年)の大會にて、阿昔 不勒噶兒 乞魄察克 嚕西亞の諸︀國を征服せんが爲に大軍を興さんことを議決したり。この諸︀國は、皆 成吉思 汗の長子 拙赤の子 巴禿の領地に接せり。斡歌台は、この征伐に巴禿を助けんことを、次の諸︀王、卽 斡歌台の子ども庫余克 喀丹、拖雷の子ども曼古 不者︀克、察合台の子ども不哩 拜荅兒、斡歌台の弟 庫勒堪、巴禿の兄弟 斡兒荅 唐古惕 失班に命じたり。勇武なる速不台 巴哈都︀兒も、この出征に加はり、一二三六年(太宗 八年)二月 進軍 始まれり。」喀丹は、元史 世系表に太宗の第六子 合丹 大王、速不台の傳に諸︀王 哈丹とあり。不者︀克は、世系表に睿宗の第八子 撥綽 大王、牙忽都︀の傳に睿宗の庶子 撥綽とあり。不者︀克の名は、本書 下の文にも見ゆ。庫勒堪また古勒干は、世系表に太祖︀の第六