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云へる所は、黑韃 事略の以馬 踐蹂、喇失惕の茂林 蔽地と參考すべし。また蒙古 源流に曰く「以輦奉柩、至穆納 之 淖爾 處所、車輪挺然不動。蘇尼特 之 吉爾根 巴圖爾(鄂嫩の德里袞 布勒搭克、克嚕倫 等地を歷擧して、謂)、「汗何戀唐古特、反將昔日屬眾 蒙古 等棄擲〈[#返点の「上」はママ。対応する返点「下」がない]〉。」言畢、柩因徐徐轉動、遂至所卜久安之地。因金身、建造長陵、共仰庇護。於彼處白屋八閒、在阿勒坦 山陰 哈岱 山陽之大 諤特克 地方、建立陵寢、號爲索多 博克達 大明 靑吉斯 汗。」源流の原文を獨逸︀文に譯せる施米惕の撒難︀ 薛禪には、その久安の地を阿勒泰 汗の陰と肯帖依 汗の陽との閒の也客 兀帖克の地方と譯せり。こゝの汗は、山の義にして、肯帖依 汗は、卽 肯特 山なれば、こゝの阿勒泰 山は、肯特 山より分れ出でて客嚕倫 河の源を挾める一峯の名なるべし。馬兒科 保羅の阿勒泰も、この山の事を聞き傳へたるにやあらん。諸︀書を合せ考ふるに、起輦谷は、客嚕倫 河の源 肯特 山の陽に在りて、撒阿里 原の斡兒朶より遠くは離れざるべし。

太祖︀紀の末段

今 太祖︀の實錄 全く終り、太宗の事に移らんとするに臨み、こゝに太祖︀紀の末段を引かしめよ。「至元三年冬十月、追諡聖武皇帝。至大二年冬十一月庚辰、加諡法天啓運聖武皇帝、廟號太祖︀。在位二十二年。帝深沈有大略、用兵如神︀。

滅國四十

故能滅國四十、遂平西夏。其奇勳偉跡甚眾。惜乎當時史官不備、或多失於紀載云。」謂はゆる滅國四十は、いかに數へたるかを知らざれども、試に數へ見ん。こゝに國と云へるは、王國のみに非ず、部落をも指せるならん。滅と云へるは、擊ち滅されたるのみならず、撃たれて降りたるもの、自ら服屬したるものをも込めたるならん。まづ蒙古の別部にて滅されたるは、主兒勤 合塔斤 撒勒只兀惕 朶兒別惕 泰赤兀惕 札只喇惕の六部なり。蒙古の外にて滅され又は降りたるは、塔塔兒 四部、篾兒乞惕 三部、客咧亦惕 部、乃蠻 二部、乃蠻の古出魯克 罕の據れる合喇 乞塔惕、豁哩 禿馬惕、撒兒塔兀勒 卽 闊喇自姆 沙の領地、康鄰 卽 康克里、乞卜察兀惕 卽 乞魄察克、巴只吉惕 卽 巴施客兒篤、阿速惕 卽 阿闌、撒速惕 卽 撒克新、薛兒客速惕 卽 徹兒客思、孛剌兒 卽 不勒噶兒の二十部にして、前の六部と合せて二十六部なり。自ら服屬したるものは、亦乞咧思 翁吉喇惕 豁囉剌思 斡亦喇惕 汪古惕 委兀惕 合兒魯兀惕 七部の外に、不哩牙惕、巴兒渾 卽 巴兒古惕、兀兒速惕、合卜合納思、乞兒吉速惕、失必兒、客思的音 卽 客思的米、帖良古惕 卽 帖連郭惕、脫斡列思 卽 禿剌思なる九部の林の民あり。前の二十六部と合せて四十二部となる。林の民は、この外にも康合思 禿巴思 巴亦惕 禿合思 塔思などありて、いづれも服屬せり。されども林の民は皆 小き部落にして、不哩牙惕 巴兒古惕 乞兒吉速惕などの外は、一部として數ふるに足らざるに似たり、この外に阿勒馬里克の君 斡咱兒は、祕史には見えざれども〈[#「見えざれども」は底本では「見ざれども」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉、これも服屬せる部落の內なるべし。欣都︀思惕 斡嚕思惕の國にも蒙古の兵 入りたれども荒したるのみなり。金の地は、已に十分の七八を取りたれども、滅せる數には入らざらん。つまり元史の四十と云へる數は、大槪を示せる辭なるべし。明の史臣は、奇勳 偉跡の紀載に漏れたるを惜みたれども、幸に蒙文 祕史の世に存して、本紀に數十倍する實錄 詳傳を知るを得たれば、史家はこゝに滿足することを得べし。


§269(12:13:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


太宗の卽位

 ​鼠​​ネズミ​の​年​​トシ​(我が安貞 二年 戊子、宋の理宗 紹定 元年、西紀 一二二八年、元の太宗 四十三歲の時)、​察阿歹​​チヤアダイ​ ​巴禿​​バト​を​首​​ハジメ​とせる​右手​​ミギテ​の​諸︀王​​ミコダチ​、(

​巴禿​​バト​

巴禿は、元史 太宗 定宗 憲宗 本紀にみな諸︀王 拔都︀、忙哥撒兒の傳に宗王 八都︀ 罕とあり。世系表