孛斡兒出ボオルチユ 木合黎ムカリ 二人フタリに恩賜オンシするに「力チカラに知シるまで取トれ」と勅ミコトありき。(元史の紀傳に據るに、木合黎は、今より三年前、太祖︀ 十八年に薨じたり。こゝに出したるは非なり。もしくは木合黎の遺族の誤りならん。)又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあるには「孛斡兒出ボオルチユ 木合黎ムカリ 二人フタリに恩賞オンシヤウを與アタふるに、乞塔惕キタトの民タミより與アタへざりき」とて、「乞塔惕キタトの民タミの主因ヂユインを汝等ナンヂラ 二人フタリ 均ヒトしく分ワけ合アひて取トれ。彼等カレラの好ヨき子コどもを鷹タカを執トらせて隨シタガへて行ユけ。彼等カレラの好ヨき女ムスメどもを育ヤシナひて、妻ツマどもを襟整エリトヽノへさせよ。乞塔惕キタトの民タミの阿勒壇 罕アルタン カンの信任シンニンせる寵臣チヨウシンは、忙豁勒モンゴルの祖︀ミオヤなる父君チヽギミを失ウシナひたる合喇乞塔惕カラキタト 主因ヂユインの民タミにてありしぞ。今イマ 我ワが信任シンニンする寵臣チヨウシンは、孛斡兒出ボオルチユ 木合黎ムカリ 汝等ナンヂラ 二人フタリなるぞ」と勅ミコトありき。(
卷一なる俺巴孩 合罕を拏へたる塔塔兒の主因の民は、塔塔兒 諸︀部の中の一種なるに似たり。卷十一なる縉山の戰に合喇乞塔惕 主兒扯惕 主因の勇猛なる軍とあるを見れば、主因は、契丹 女眞と竝べ稱せらるゝ大部族なるが如し。今こゝに也速該を殺︀せる塔塔兒の民を合喇乞塔惕 主因の民と云ひ、又 乞塔惕の民の主因とも云へるにつきて考ふるに、この主因の民は、蓋 契丹の別部にして、塔塔兒の地に雜居してその伴侶となり、塔塔兒 亡びて後は、金に事へてその親軍となりたるならん。契丹の別部なるが故に、合喇乞塔惕 主因の民と云ひ、塔塔兒の地に住みてその伴侶となれる故に、塔塔兒の主因の民と云ひ、金に事へたる故に、乞塔惕の民の主因と云へり。輟耕錄に、蒙古 七十二種 色目 三十一種を擧げたる後に、漢︀人 八種と云ひて、契丹 高麗 女直 竹因歹 朮里闊歹 竹溫歹 竹亦歹 渤海︀を擧げたり。鎭海︀の傳に征伐したる諸︀國を擧げたる中に只溫あるにつきて、錢大昕の考異に「輟耕錄の竹溫歹は、疑はくは卽 只溫ならん」と云ひ、又 李文田は「輟耕錄の竹因は卽 主因の對音なり」と云へり。今 考ふるに、輟耕錄の氏族は、蒙古にも色目にも重複せるものあれば、竹因歹 竹溫歹も一種の重複したるにて、卽 元史の只溫 又 卽 祕史の主因なるべし。)
§267(12:09:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
成吉思 合罕チンギス カガンは、察速禿チヤスト(雪ある[山])より動ウゴきて、兀喇孩ウラカイの城シロに下營カエイして、兀喇孩ウラカイの城シロより動ウゴきて朶兒篾該ドルメガイの城シロを破ヤブりて在イマせる時トキ、不兒罕ブルカンは、成吉思 合罕チンギス カガンに見マミえに來キぬ。(
兀喇孩ウラカイ 卽ち阿喇克アラク 城
兀喇孩は、親征錄 元