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の​言​​コトバ​を​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​致​​イタ​したれば、

​阿剌篩​​アラシヤイ​の戰

​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​膚​​ハダヘ​ ​熱​​ホト​りてあるに​宣​​ノリタマ​はく「​罷​​ヤ​めん、その​事​​コト​を(退く事を罷むべし)。かゝる​大言​​タイゲン​を​言​​イ​はせて、いかんぞ​退​​シリゾ​かれん。​死​​シ​ぬとも、​大言​​タイゲン​に​靠​​ヨ​りて​行​​ユ​かん」と​宣​​ノリタマ​ひて、「​長生​​トコヨ​の​上帝​​アマツカミ​、​爾​​ナガミコト​ ​知​​シロ​しめぜ」とて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​阿剌篩​​アラシヤイ​ ​指​​サ​して​到​​イタ​りて、​阿沙敢不​​アシヤガンブ​と​戰​​タヽカ​ひて、​阿沙敢不​​アシヤガンブ​を​敗​​ヤブ​りて、​阿剌篩​​アラシヤイ​ の​上​​ウヘ​に​楯籠​​タテコモ​らせて、​阿沙敢不​​アシヤガンブ​を​捕​​トラ​へて、​天幕​​テンマク​​帖兒篾​の​房​​イヘ​ある、​駱駝​​ラクダ​​帖篾延​の​駄​​ニツ​くるある​彼​​カレ​の​民​​タミ​を​灰​​ハヒ​の​如​​ゴト​く​刮拂​​カキハラ​ふまで​虜︀​​トラ​へさせたり。​雄雄​​ヲヲ​しく​猛​​タケ​き​男風​​ヲトコブリ​ ​好​​ヨ​き​唐兀都︀惕​​タングドト​(唐兀惕の複稱)を​殺︀​​コロ​して、「かくしかく​唐兀都︀惕​​タングドト​を​軍​​イクサ​の​人​​ヒト​ ​拏​​トラ​へたるに​依​​ヨ​り、​得​​エ​たるに​依​​ヨ​り​取​​ト​れ」と​勅​​ミコト​ありき。


§266(12:07:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


雪山の駐夏

 ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​雪​​ユキ​ある[​山​​ヤマ​]の​上​​ウヘ​に​駐夏​​チウカ​して、​阿沙敢不​​アシヤガンブ​と​共​​トモ​に​山​​ヤマ​に​上​​ノボ​りたる、​抗​​ハムカ​ひたる、​天幕​​テンマク​​帖兒篾​の​房​​イヘ​ある、​駱駝​​ラクダ​​帖蔑延​の​駄​​ニツ​くるある​唐兀都︀惕​​タングドト​を​軍​​イクサ​を​遣​​ヤ​りて​算​​カゾ​へたるに​依​​ヨ​り​盡​​ツ​くるまで​虜︀​​トラ​へさせたり。(雪あるは、蒙語 察速禿の譯なり。明譯に雪山とあるに由り、施世杰〈[#「施世杰」は底本では「施世𤇍」]〉は、甘肅 甘州府 張掖縣の南にある雪山なりと云へり。されども雪山と云ふ山は處處にあり、又 察速禿は漢︀名の雪山を譯したりとも限られざれば、山の所在は確ならず、但 本文 前後の續きに依りて考ふれば、賀蘭山 龍頭山の羣峯の內なるに似たり。

黑水城の所在

太祖︀紀 二十一年 正月 親征の續に「二月取黑水等城、夏避暑︀於渾垂山、取甘肅等州」とあり。蒙古 游牧記に「肅州境有二黑水、其一卽張掖河、別名黑河。其一黑水、在州西北一百二十里、源出黑水泉、合淸水、東流入討來河、下流與張掖河合」と云ひ、その張掖河 卽 黑河は、北流 五百 淸里、額濟納の地に至り、額濟納 河と云ひ、末は居延海︀に入る。額濟納は、元史 地理志の亦集乃 路、馬兒科 保羅の額次納 城、今の額濟納 舊 土爾扈特 部の牧地にして、西夏にてはそこに威福︀軍を置きたり。黑水 等城は、その威福︀軍の界內の地なるべし。耶律 希亮の傳に「潛匿甘州北黑水東沙陀中」とある黑水も、甘州の北なり。渾垂山は、西夏 書事に「在肅州 北」とあれば、祕史の雪山 駐夏とは說 異なるに似たり。その是非は知らざれども、强ひて牽合せ難︀し。)それより