の中にて、事實の起オコれる時代ジダイに最も近き記錄なり。此書の正集は太祖︀の時に成り、續集は太宗の時に成りたれば、嗣帝シテイの世に撰修せるに非ずして、今帝キンテイの事蹟を今常の世に撰修せるなり。實錄よりは、寧ムシロ 起居注キキヨチウに近し。されども起居注は、天子の言動ゲンドウを史官シクワンの卽時ソクジに記錄する者︀なり。蒙古には固モトより起居注官キキヨチウクワンとても無く、語部カタリベなどの語れることを後に至りて書カき集アツめたる者︀なるべければ、起居注には非ずして、猶 實錄なり。
實錄と云へばとて、事事ジジ 皆 確實クワクジツなる者︀には非ず。唐タウの高祖︀カウソ 實錄は、太宗タイソウの朝に成りたれば、高祖︀の德を抑オサへて太宗の功を揚アげ、宋ソウの神︀宗シンソウ 實錄は、元祐︀ゲンイウ 紹聖セウセイの兩黨リヤウタウにて代カハる〴〵改修カイシウせり。元の實錄の疏漏ソロウなる、明の實錄の誣罔フマウあるは、著︀イチジルしき事なり。この實錄にも誤アヤマりあり。南征ナンセイの役エキに、者︀別ゼベJebeの居庸關キヨヨウクワンを破ヤブりたるは、太祖︀の八年 癸酉キイウなるを、六年 辛未シンビ 九年 甲戌カフジユツの二囘とし、九年 甲戌の再征サイセイは、金の遷都︀セントの後なるを、再征に由りて遷都︀せりとし、拖雷トルイTului、出古チユグChugu 二人の奮戰フンセンは七年 壬申ジンシン、潼關ドウクワンの戰は十一年 丙子ヘイシなるを、皆 九年 再征の時とし、潼關ドウクワンの寄手ヨセテの大將は撒木合サムカSamukhaなるを、太祖︀とせり。最も甚しきは、使者︀シシヤ 主卜罕ヂユブカンJubkhanの殺︀されたるは、太宗 三年の事なるを、この九年の處に記シルして、再征の役エキはそれが爲に起れりとせり。西征セイセイの役エキ、者︀別ゼベJebe、速別額台スベエタイSubeetai、脫忽察兒トクチヤルTokhucharの三將サンシヤウをして西域王セイイキワウを追オはしめたるは、不合兒ブカルBukhar、薛米思堅セミスゲンSemisgenを降し