Page:成吉思汗実録.pdf/305

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と書けり。その地は、阿木 河の上流に在りて印度 河の上流に在らず。又 巴荅黑山を平げたるは、多遜に據るに、一二二〇年の秋 帖兒篾惕を取れる後、阿木 河を渡る前にあり。巴惕客先は、もしその地ならば、こゝに書きたるは時 違へり。母 小河は、蒙古語​額客 豁囉罕​​エケ ゴロカン​、牝馬小河は、蒙古語​格溫 豁囉罕​​ゲウン ゴロカン​にして、土名を蒙語に義譯したるなり。明譯に二河を合せて子母河と譯したるは、牝馬なる格溫を子なる可溫と誤りたるなり。親征錄に可溫寨、集史に古納溫 庫兒干とあるは、皆 格溫 豁囉罕の誤なり。蒙語に寨を庫兒干と云ひ、小河なる豁囉罕と音近き故に、小河を寨と誤れり。

​巴嚕安​​バルアン​ 原の位置

巴嚕安原は、親征錄 元史に八魯彎 川 集史に別嚕安とあり、卽 失乞 忽禿忽の敗北したる所なり。今も喀不勒と安迭喇卜の溪との間、欣都︀庫施 山の高き處に帕兒彎の峽あり。そこに又 同じ名の河と小邑とありて、西紀 一六〇三年に僧︀正 誥思は、喀不勒より巴荅黑山に至る路にてそこを通りき。第 九 世紀の人 亦奔 忽兒荅惕必は、已に珀嚕安を巴米安に屬する諸︀邑の中に擧げたり。速勒壇 巴別兒は、その記錄に「帕兒彎の峡路は甚 險しく、そこと大谷との間に小き峽 七つあり」と云ひ、又「喀不勒にて夏 吹く風は、帕兒彎の風と名づけらる」と云へり。

​者︀剌列丁​​ヂエラレツヂン​を​巴剌​​バラ​の​追驅​​オヒカ​け

​札里牙兒​​ヂヤリヤル​の​巴剌​​バラ​を​札剌勒丁 莎兒壇​​ヂヤラルヂン シヨルタン​ ​罕篾里克​​カンメリク​ ​二人​​フタリ​を​追​​オ​はしめに​遣​​ヤ​りて、(札里牙兒は、札剌亦兒の誤なり。札剌亦兒の巴剌は、功臣の第四十七なる巴剌 扯兒必なり。親征錄に「遂遣八剌 那顏、將兵急追之。不獲。因大擄忻都︀ 人民之半而還。癸未(太祖︀ 十八年)春、上兵循辛 自速 河而北、命三太子河而南、至不昔思丹 城之、遣使來稟命。上曰「隆︀暑︀將及、宜別遣將攻之。」夏、上避暑︀於 八魯彎 川、候八剌 那顏、因討近敵悉平之。八剌 那顏 至、遂至可溫 寨。三太子亦至。」元史に「遣八剌之、不獲。十八年癸未夏、避暑︀ 八魯彎 川。皇子 朮赤 察合台 窩闊台 及 八剌 之兵來會。」親征錄の三太子は、斡歌歹を云へるなり。察阿歹 斡歌歹の行宮に會したるは前年の春にあり。元史に今 三皇子の來會を云へるは、錄の「三太子亦至」を誤會したるに似たり。集史に「者︀剌亦兒の巴剌 那顏を者︀剌列丁を追はしめに印度に遣り、朶兒伯にも同じく往かしめ、云云。羊の年の春、成吉思 汗は、信度 河の上游に至り、下游の地を定めさせに斡歌台を遣りき。斡歌台は、噶自納を掠め、その城を毀ち、又 薛亦思壇を攻めんとて命を請ひたれば、成吉思 汗は「暑︀さに向ひたれば回れ。別の將に攻めさせん」と云へり。夏、別嚕安に暑︀を避けて、巴剌 那顏を待ち、別嚕安の近處を平げたり。巴剌 朶兒伯 至りて、成吉思 汗は古納溫 庫兒干に往き、斡歌台も至れり。」多遜に據れば「一二二二年(十七年 壬午)の春、成吉思 汗は、別剌 禿兒台を遣り、信度 河を渡りて速勒壇を追はしめ云云。者︀剌列丁 未 得られず、軍 退きて後 噶自納の叛かんことを慮り、斡歌台を遣りその民を屠らしめき。別嚕安の敗軍に赫喇惕 叛きたりしかば、亦勒赤喀歹は命ぜられて往き、六月 餘りにて(西曆 六月 十四日)攻め落し、その民を屠れり。成吉思 汗は、信度 河の西岸に沿ひて北に行き、者︀剌列丁の餘黨を平げたり。斡歌台は已に噶自納を定めて、昔思壇の城を攻めんと請ひたれば、成吉思 汗は、極暑︀の爲に許さずして、呼び返せり。この夏は別嚕安の野に駐營し、別剌 禿兒台の印度より回れる時、全軍 又 動き、古納溫 庫兒干の邊にて斡歌台の軍も大軍に合へり。」

​噶自納​​ガズナ​ ​昔思壇​​シスタン​の位置

噶自納は、喀不勒の西南にある古城にして、吉自紉とも云ひ、元史 地理志に哥疾寧と書けり。唐 西域記にある漕矩吒 國の都︀ 鶴︀悉那 城は、卽 噶自納なり。宋の世には噶自尼 朝の速勒壇の宮所なりしが、この朝は、一一八六年(宋の孝宗 淳熙 十三年)誥兒 朝に滅され、抹哈篾惕 闊喇自姆 沙は、誥兒の國を幷せ、一二一六年(太祖︀ 十一年)噶自納を取れり。錄の不昔思丹は卽 薛亦思壇 又 昔思壇にして、本書の下文に昔思田とあり。その都︀は、孛思惕と云ひ、希勒綿篤 河の畔にありき。元史 地理志に不思忒とあるは、これなり。卜咧惕施乃迭兒 曰く「不昔思丹は、孛思惕と昔思壇とを合せて表はせるに似たり。嚕西亞の大 地圖に、朶哩 河の希勒綿篤 河に注ぐ所に、喀剌 必思惕と云ふ地あり。これは蓋 孛思惕なり。」集史の朶兒伯は、本書の下文に朶兒伯 朶黑申とあり。多遜の禿兒台は、音 訛れり。多遜の亦勒赤喀歹は、本書 卷九 卷十二にある額勒只吉歹なるべし。