Page:成吉思汗実録.pdf/30

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きことは、​世​​ヨ​に​知​​シ​れたり。

 此書も、さる​類︀​​タグヒ​にて、蒙古人の始めて文字を知りたる頃の書なれば、據るべき​舊記​​キウキ​も無く、​語部​​カタリベ​などの​語​​カタ​り​繼​​ツ​ぎ​言​​イ​ひ​繼​​ツ​ぎたる事をそのまゝに書ける者︀なり。​沙漠​​サバク​の​朝廷​​ミカド​にも​語部​​カタリベ​などの有りけんことは、此書に​韻文​​ヰンブン​の甚だ多きにて​推料​​オシハカ​らる。​德義​​トクギ​の​程度​​テイド​ ​卑​​ヒク​くして、​羞惡​​シウオ​の​心​​コヽロ​ ​淺​​アサ​かりければ、後の人ならば​諱​​イ​むべき程の事も、​忌憚​​イミハヾカ​らず​直書​​チヨクシヨ​せり。​恰​​アタカ​も我が古事記に​當藝志美美 命​​タギシミミノ ミコト​と​伊須氣余理比賣 命​​イスケヨリヒメノ ミコト​との​御事​​オンコト​、​倭建 命​​ヤマトタケルノ ミコト​の​御兄​​オンイロセ​を​殺︀​​シ​せ​給​​タマ​へる事、​蝦夷​​エミジ​の​征伐​​コトムケ​を​命​​オホ​せられて、​父帝​​チヽギミ​を​怨​​ウラ​み​給​​タマ​へる事、​仲哀天皇​​チウアイテンワウ​の​神︀​​カミ​に​忿​​イカ​られて​崩​​カンサ​り給へる事などを皆 古傳のまゝに書きたるが如く、此書にも、​烈祖︀​​レツソ​の​毒殺︀​​ドクサツ​せられたる事、太祖︀の​囚虜︀​​シウリヨ​となりたる事などは、言ふまでも無く、​宣懿 太后​​センイ タイコウ​は​本​​モト​ ​篾兒乞惕​​メルキト​​Merkit​​人​​ジン​の​妻​​ツマ​なるを烈祖︀の​掠​​カス​め​取​​ト​れる事、​光獻 翼聖 皇后​​クワウケン ヨクセイ クワウゴウ​の​敵人​​テキジン​に​汙​​ケガ​される事、​拙赤​​ヂユチ​​Juchi​ ​太子​​タイシ​は敵人の子ならんと​疑​​ウタガ​はれたる事、太祖︀の​弟​​オトヽ​を​射殺︀​​イコロ​せる事、​筵會​​エンクワイ​の​席​​セキ​にて鬭へる事、​忽闌​​クラン​​Khukan​ ​皇后​​クワウゴウ​のまだ​處女​​ヲトメ​なりし時、人に​姦​​オカ​されたらんと疑ひて、その​體​​カラダ​を​調​​シラ​べたる事などを​有​​アリ​のまゝに書きて、更に​忌憚​​イミハヾカ​る處なし。

 然るを修正 祕史は、是等の​恥​​ハ​づべき事を​删除​​サンヂヨ​したるは、さもあるべき事なれども、​是​​コレ​が爲に​事實​​ジジツ​の​聯絡​​レンラク​を​失​​ウシナ​ひ、事實の​順序​​ジユンジヨ​を​紊​​ミダ​し、​左右 枝梧​​サイウ シゴ​し、​首尾 衡決​​シユビ カウケツ​して、​前​​マヘ​に​死​​シ​にたる人は​後​​ノチ​