Page:成吉思汗実録.pdf/280

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ば、​必​​カナラズ​ ​城城​​シロジロ​にて​潰​​ツイ​えん、​彼等​​カレラ​。​却​​カヘツ​て​我等​​ワレラ​に​收​​ヲサ​めば​肯​​キ​かず、​我等​​ワレラ​に​敵​​テキ​となりて、​伴​​トモ​とならざらん、​彼等​​カレラ​。​阿勒壇 罕​​アルタン カン​ ​恩賜​​オンシ​せば、​忙豁勒 罕​​モンゴル カン​に​今​​イマ​の​內​​ウチ​に​降​​クダ​らんと​相談​​サウダン​せん。​相談​​サウダン​に​入​​イ​りて、​忙豁勒​​モンゴル​を​退​​シリゾ​けば、​退​​シリゾ​けたる​後​​ノチ​に、​復​​マタ​ ​別​​ベツ​に​考​​カンガ​へ、​我等​​ワレラ​そこに​議​​ハカ​り​合​​ア​はんぞ。​忙豁勒​​モンゴル​の​人​​ヒト​ ​騸馬​​センバ​も、​地​​チ​ ​合​​ア​はずして​疫病​​エヤミ​し​居​​ヲ​ると​云​​イ​はれたり。​彼等​​カレラ​の​罕​​カン​に​女子​​ヒメミコ​を​與​​アタ​へん。​金​​コガネ​ ​銀​​シロカネ​ ​緞子​​ドンス​ ​財​​タカラ​を​軍​​イクサ​の​人​​ヒト​に​重​​オモ​くいだして​與​​アタ​へん。​我等​​ワレラ​の​此​​コ​の​相談​​サウダン​に​入​​イ​らざるをいかで​知​​シ​られん」と​建議​​ケンギ​しければ、

金の宣宗の屈服

​阿勒壇 罕​​アルタン カン​は、​王京 丞相​​ワンキン シヤウジヤウ​の​此​​コ​の​言​​コトバ​を​善​​ヨ​しとして、「かく​便​​スナハチ​ ​爲​​ナ​れ」とて、​降​​クダ​らんと、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​公主​​コウシユ​の​號​​ナ​ある​女子​​ヒメミコ​を​出​​イダ​して、​金​​コガネ​ ​銀​​シロカネ​ ​緞子​​ドンス​ ​財​​タカラ​もて​軍​​イクサ​の​人​​ヒト​に​力​​チカラ​に​知​​シ​らしむべく、​力限​​チカラカギリ​ ​中都︀​​チウト​より​出​​イダ​して、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​處​​トコロ​に​王京 丞相​​ワンキン シヤウジヤウ​ ​致​​イタ​して​來​​キ​ぬ。​降​​クダ​りに​來​​コ​られて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​彼等​​カレラ​の​相談​​サウダン​に​入​​イ​りて、​郡郡​​クニグニ​に​攻​​セ​め​下​​クダ​りたる​軍​​イクサ​どもを​回​​カヘ​らしめて​退​​シリゾ​きたり。​王京 丞相​​ワンキン シヤウジヤウ​は、​莫州​​マチユ​ ​撫州​​ブシユ​の​名​​ナ​ある​觜​​クチバシ​(山の鼻)に​到​​イタ​るまで​成吉思 合罕​​チンギス カガン​を​送​​オク​りて​回​​カヘ​れり。​緞子​​ドンス​ ​財​​タカラ​を​我等​​ワレラ​の​軍士​​イクサビト​ども​力限​​チカラカギリ​ ​荷​​ニ​に​駄​​ツ​けて、​熟絹​​ネリギヌ​にてその​荷​​ニ​を​縛​​シバ​りて​行​​ユ​きたり。(

太祖︀ 九年 甲戌の凱旋

これは、太祖︀ 九年 甲戌の三月の事なり。親征錄には「甲戌、上駐營於中都︀北壬甸。金丞相高琪、與其主謀曰「聞彼人馬瘦病。乘此決戰、可乎。」丞相 完顏 福︀興曰「不可。我軍、身在都︀城、家屬多居諸︀路。其心向背未知。戰敗、必散。苟勝、亦思妻子而去。祖︀宗社︀稷安危、在此擧矣。當熟思之。今莫使議和。待彼主還軍、更爲之計、如何。」金主然之、遣使求和、因獻衞紹王公主、令福︀興來送上、至野麻池而還」とあり。丞相 高琪は、金史 高琪の傳に據れば、この時 平章政事にして、丞相に非ず。金の莫州は、河北