Page:成吉思汗実録.pdf/262

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錄には吐麻 部、元史 本紀には禿滿 部とあり。兵志 三には火里 禿麻ともあり。)​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​の​官人​​クワンニン​ ​歹都︀忽勒 莎豁兒​​ダイドクル シヨゴル​ ​死​​シ​にたれば、

勇婦 ​孛脫灰​​ボトクイ​

その​妻​​ツマ​ ​孛脫灰 塔兒渾​​ボトクイ タルクン​(孛脫灰 勇婦)は、​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​を​知​​シ​りて​居​​ヲ​りき。(歹都︀忽勒 莎豁兒は、明譯文に歹都︀禿勒とあり、忽を禿に誤り、莎豁兒を略けり。倭勒甫の書に塔禿剌克 速喀兒とあるは、音 稍 近けれども、剌克は、忽勒を倒にせるに似たり。親征錄に都︀剌 莎合兒とあるは、都︀の上歹 又は塔を脫し、剌の下 克の字を略けるなり。

​孛囉忽勒​​ボロクル​の殺︀され

​孛囉忽勒 那顏​​ボロクル ノヤン​ ​到​​イタ​りて、​三人​​ミタリ​にて​大軍​​タイグン​より​前​​マヘ​へ​步​​アユ​み​往​​ユ​きて、​夕暮​​ユフグレ​に​覺​​オボ​えず​難︀​​カタ​き​林​​ハヤシ​の​中​​ナカ​に​徑​​コミチ​に​依​​ヨ​り​步​​アユ​みたれば、​彼等​​カレラ​の​斥候​​モノミ​に​後​​ウシロ​より​脅​​オビヤカ​されて、​徑​​コミチ​を​阻​​ハヾ​みて、​孛囉忽勒 那顏​​ボロクル ノヤン​を​拏​​トラ​へて​殺︀​​コロ​しけり。​禿馬惕​​トマト​は​孛囉忽勒​​ボロクル​を​殺︀​​コロ​せりと​知​​シ​りて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​甚​​イタ​く​怒​​イカ​りて、​自​​ミヅカ​ら​出馬​​シユツバ​せんとしたれば、​孛斡兒出​​ボオルチユ​、​木合黎​​ムカリ​ ​二人​​フタリ​は、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​を​止​​トヾ​まるまで​諫​​イサ​めたり。

​朶兒伯 多黑申​​ドルベ ドクシン​の​禿馬惕​​トマト​ 征服

​却​​サテ​ ​朶兒別惕​​ドルベト​(朶兒邊の複稱)の​朶兒伯 多黑申​​ドルベ ドクシン​(親征錄 都︀魯伯、元史 朶魯伯)に​任​​コトヨサ​し「​軍​​イクサ​を​嚴​​オゴソカ​に​整​​トヽノ​へて、​長生​​トコヨ​の​上帝​​アマツカミ​に​禱​​イノ​りて、​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​を​降​​クダ​さんと​試​​コヽロ​みよ」と​勅​​ミコト​ありき。​朶兒伯​​ドルベ​は、​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて、​前​​サキ​に​軍​​イクサ​の​行​​ユ​きたる、​斥候​​モノミ​の​守​​マモ​りたる​路​​ミチ​ ​徑​​コミチ​の​口口​​クチグチ​に、​虛​​ムナ​しき​勢​​イキホヒ​を​張​​ハ​りて、​紅​​アカ​き​强牛​​キヤウギウ​(野牛の一種)の​行​​ユ​きたる​路​​ミチ​に​依​​ヨ​り、​軍士​​イクサビト​どもに​號令​​ガウレイ​し、​軍​​イクサ​の​數​​カズ​ある(數に具はれる)​人​​ヒト​、​心 臆​​コヽロ ヲク​せば​打​​ウ​たんが​爲​​タメ​に、​人​​ヒト​ごとに​十​​トヲ​の​笞​​シモト​を​負​​マ​はせて、​斧​​ヲノ​ ​錛​​ホン​(蒙語 兀哈里。義を知らず、明譯に從へり。錛は、字典に「音奔、平木器︀」とあれども、これも解り得ず。)​鋸​​ノコギリ​ ​鑿​​ノミ​なる​人​​ヒト​ ​毎​​ゴト​の(人ごとに用ふる)​器︀械​​キカイ​を​整​​トヽノ​へさせて、​紅​​アカ​き​强牛​​キヤウギウ​の​行​​ユ​きたる​路​​ミチ​に​依​​ヨ​り、​路​​ミチ​に​立​​タ​てる​樹​​キ​どもを​斷​​タ​ち斫らせて、​鋸​​ノコギ​らしめて​路​​ミチ​をなして、​山​​ヤマ​の​上​​ウヘ​