Page:成吉思汗実録.pdf/24

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の​制度​​セイド​、​諸︀將​​シヨシヤウ​の​恩賞​​オンシヤウ​に​關​​クワン​する​許多​​アマタ​の​詔勅​​セウチヨク​ありて、​一卷半​​イツクワンハン​ほどを​滿​​ミ​たせり。二書には一語もなし、かくの如き​差異​​サイ​、​末參​​マツクワン​までに猶 多し。然らば二書の本づきたる祕史は、今の祕史の原本その儘の者︀に非ざること​明​​アキラ​けし。

 然れども二書の​敍事​​ジヨジ​ ​行文​​カウブン​、今の祕史に合へる處も亦 頗る多し。その​例​​レイ​は、今一一は擧げず。只その最も著︀しき者︀を擧ぐれば、祕史 卷十、​畏兀兒​​ウイウル​​Uiur​の​使者︀​​シシヤ​の太祖︀に​奏​​マウ​したる​辭​​コトバ​に「​雲​​クモ​ ​霽​​ハ​れて​母​​ハヽ​なる​日​​ヒ​母の如き太陽を​見​​ミ​、​氷​​コホリ​ ​解​​ト​けて​河​​カハ​の​水​​ミヅ​を​得​​エ​たるが​如​​ゴト​く​云云​​シカジカ​」と云へるが如きは、二書共にこの​句​​ク​を​直譯​​チヨクヤク​したるが如き句あり。故に​不咧惕施乃迭兒​​ブレツトシユナイデル​​Bretschneider​は、​喇失惕 額丁​​ラシツド エツヂン​よりこゝの句を譯して「この句は、元朝 祕史より​辭通​​コトバドホ​りに​譯​​ヤク​したるが如く聞え、​而​​シカ​して祕史の作者︀は、​喇失惕 額丁​​ラシツド エツヂン​と​同​​オナ​じ​本源​​ホンゲン​よりその​開如​​ブンチ​を得たりと云ふ​證據​​シヨウコ​を​呈​​テイ​す。その​證據​​シヨウコ​は、​實​​ジツ​にあまたの​他​​ホカ​の​例​​レイ​にて​確​​タシカ​められ得るなり」と云へり。この​辭​​コトバ​に​少​​スコ​し​弊​​ヘイ​あり。祕史の作者︀とは、祕史の原本の作者︀を云へるならば、その原本を書き​畢​​ヲ​へたる太宗の十二年は、集史の成れる成宗の大德十一年より六十七年 ​前​​マヘ​に​在​​ア​り。又 正集 十卷の成れるは太祖︀の世に在りとすれば、又その二千餘年 ​前​​マヘ​に在り。その時は、​畏吾兒​​ウイウル​ ​歸服​​キフク​して未だ​幾年​​イクトセ​も​經​​ヘ​ず、蒙古人 始めて​畏吾兒字​​ウイウルモジ​を用ふることを知りたる​頃​​コロ​なれば、その書の前には蒙古の​記錄​​キロク​も無かるべく、その