Page:成吉思汗実録.pdf/233

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​嬪御 木八哈 別吉​​ヒンギヨ ムバハ ベキ​。木は、亦の誤りなり。喇失惕​阿卜哈 合屯​​アブハ カトン​)を​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​に​恩賜​​オンシ​して​與​​アタ​ふる​時​​トキ​、​亦巴合​​イバカ​に​宣​​ノリタマ​はく「​汝​​ナンヂ​を​厭​​イト​​兀里格​ひ​汝​​ナンヂ​の​胷懷​​キヨウクワイ​なく​見​​ミ​​兀者︀思古良​〈[#「良」は底本では「※[#「一/艮」]」だが[デザイン差 良]であり「元朝秘史」§208(08:46:02)の漢︀字音訳も通常の「良」]〉え​容​​カタチ​ ​惡​​ア​しと​云​​イ​はざりしぞ、​我​​ワレ​。​懷​​フトコロ​に​脚​​アシ​に​入​​イ​りたる、​列​​ツラ​に​列​​ツラナ​りて​坐​​ヰ​たる​汝​​ナンヂ​を​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​に​恩賜​​オンシ​するは、​大​​オホイ​なる​道理​​ダウリ​を​思​​オモ​ひて、​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​の​戰​​タヽカ​​合惕忽勒都︀​ふ​日​​ヒ​に​楯​​タテ​​合勒合​となりたる、​敵​​テキ​​荅亦孫​なる​人​​ヒト​に​防​​フセ​​塔勒塔​ぎとなりたる、​離​​ハナ​​合合察​れたる​部眾​​ブシウ​を​聚​​アツ​​含禿惕合​めたる、​散​​チ​​不塔剌​りたる​部眾​​ブシウ​を​纏​​マト​​不古惕格勒都︀​め​合​​ア​ひたる​彼​​カレ​の​功​​イサヲ​を​考​​カンガ​へて、​汝​​ナンヂ​を​與​​アタ​へたり。​久後​​ユクスヱ​ ​我​​ワ​が​子孫​​シソン​は、​我等​​ワレラ​の​位​​クラヰ​に​坐​​ヰ​て、かくの​如​​ゴト​き​功​​イサヲ​をなせる​道理​​ダウリ​を​想​​オモ​ひて、​我​​ワ​が​言​​コトバ​に​違​​タガ​ひなさず、​子孫​​シソン​の​子孫​​シソン​に​至​​イタ​るまで、​亦巴合​​イバカ​の​位​​クラヰ​を​勿​​ナ​ ​斷​​タ​ちそ」と​勅​​ミコト​ありき。​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​亦巴合​​イバカ​に​宣​​ノリタマ​はく

​遺念​​カタミ​の​媵臣​​ヨウシン​

「​札合敢不​​ヂヤカガンブ​なる​汝​​ナンヂ​の​父​​チヽ​は、​汝​​ナンヂ​に​二百人​​ニヒヤクニン​の​媵臣​​ヨウシン​を、(蒙語​引者︀思​​インヂエス​、婦人の嫁ぎに隨ひ往きて仕ふる從者︀、男をも女をも云ふ。)​汝​​ナンヂ​に​阿失黑 帖木兒​​アシク テムル​ ​厨子​​カシハデ​、​阿勒赤黑​​アルチク​ ​厨子​​カシハデ​ ​二人​​フタリ​を​與​​アタ​へてありき。​今​​イマ​ ​兀嚕兀惕​​ウルウト​の​民​​タミ​に​汝​​ナンヂ​ ​往​​ユ​くには、​遺念​​カタミ​として​我​​ワレ​にその​媵臣​​ヨウシン​より​阿失黑 帖木兒​​アシク テムル​ ​厨子​​カシハデ​を​一百人​​イツピヤクニン​を​與​​アタ​へて​往​​ユ​り」と​宣​​ノリタマ​ひて​取​​ト​れり。​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​に​宣​​ノリタマ​はく「​亦巴合​​イバカ​を​汝​​ナンヂ​に​與​​アタ​へたり。

四千の​兀嚕兀惕​​ウルウト​の長

​四千​​シセン​の​兀嚕兀惕​​ウルウト​を​汝​​ナンヂ​ ​知​​シ​りて​居​​ヲ​らずや」とて​恩賜​​オンシ​して​勅​​ミコト​ありき。(元史 朮赤台の傳に「朮赤台、始從征怯列亦、自罕哈行、歷班眞 海︀子、間關萬里、每戰陣、必爲先鋒。帝嘗諭之曰「朕之望汝、如高山前日影也。」賜嬪御 木八哈 別吉 引者︀思 百、俾兀魯兀 四千人、世世無替」と云へるは、こゝの文の意を約めたるなり。高山前日影は、高き山の遮護の誤り、引者︀思は、媵臣の蒙語を正しく音譯せり。



成吉思 汗 實錄 卷の八 終り。