居ヲりき。
「喚ヨびに往ユけ」と失吉 忽禿忽シギ クトクに宣ノリタマへば、失吉 忽禿忽シギ クトク 申マウさく「孛斡兒出ボオルチユ 木合黎ムカリ 等ラは、誰タレより多オホき功イサヲをなしけん。誰タレより多オホき力チカラを與アタへけん。恩賞オンシヤウを賜タマはらんには、我ワレいかに少スクナき功イサヲをなさざりき。いかに少スクナき力チカラを與アタへざりき、我ワレ。搖車エウシヤ斡列該にある時トキより爾ナガミコトの高タカ溫都︀兒き閾シキミの裏ウチに下頷シタアゴ額哩溫にかく額堆髯ヒゲ 生オふるまで長タ斡思けて、他アダ斡額咧しくは思オモはざりしぞ(他心を懷かざりしぞ)、我ワレ。內服ウチマタ阿剌に尿壺ネウコ[を用モチひし]より爾ナガミコトの金コガネ阿勒壇の閾シキミの裏ウチに住ス阿周みて口クチ阿蠻に髯ヒゲかく生オふるまで長タけて、違タガ阿兒只阿思へるを踏フまざりしぞ、我ワレ。脚アシ闊勒の處トコロに臥フさせて子コ可兀赤連とし育ソダてたるぞ、我ワレを。前マヘ迭兒格に臥フさせて弟オトヽ迭兀赤連とし育ソダてたるぞ、我ワレを。今イマ 我ワレにいかなる恩賞オンシヤウをか賜タマはらん」と申マウしき。その言コトバにつき、成吉思 合罕チンギス カガンは
失吉 忽禿忽シギ クトクに宣ノリタマはく「第六ダイロクの弟オトヽ(宣懿 太后の第六子にして太祖︀の末弟)に非アラずや、汝ナンヂは。末スエの弟オトヽなる汝ナンヂに、恩賞オンシヤウは弟オトヽどもの分前ワケマヘに依ヨり分ワカけ合アはん。又マタ 汝ナンヂの功イサヲの故ユヱに九次コヽノタビの罪ツミに勿ナ 罪ツミなひそ」と勅ミコトありき。「長生トコヨの上帝アマツカミに祐︀タスけられて普アマネき國民クニタミを服シタガへてある處トコロにて、汝ナンヂは視︀ミる目メ 聽キく耳ミヽとなりて、普アマネき國民クニタミを母ハヽに我等ワレラに弟オトヽどもに子コどもに分民ブンミン(分け與へらるゝ民)の名ナにて、毛氈マウセン亦思該の帳牆チヤウシヤウある[民タミ]を分ワ亦哩扯兀勒けて、板イタ合荅孫の門カドある[民タミ]を離ハナ合合察兀勒して、割附ワリツけて與アタへよ。誰タレも汝ナンヂの言コトバに違タガひ勿ナ 爲セそ」と勅ミコトありき。又マタ 失吉 忽禿忽シギ クトクに「普アマネき國民クニタミの盜ヌスビトを懲︀コラして、謊ネナシゴトを白アラハ