Page:成吉思汗実録.pdf/220

このページはまだ校正されていません

、以功授千戶」とある雪里堅は、この失魯孩の轉なるべし。

​者︀台​​ヂエタイ​

​者︀台​​ヂエタイ​(卽ち哲台、忙忽惕 氏、卷三より見えたり。卷三なる帖木眞 卽位の條に哲台 多豁勒忽 徹兒必 兄弟 二人 箭筒を帶べりとあるは、哲台 徹兒必 多豁勒忽 徹兒必 二人と云ふべきを略きたるなり。その後文に多歹 扯兒必は奴婢を統ぶとあるは、別なる人の如く聞ゆれども、卷七なる扯兒必 六人 任命の處に朶歹 扯兒必 多豁勒忽 扯兒必と連書して、その後 哲台の名 見えざれば、多歹 朶歹は卽ち哲台なるべし。

​塔孩​​タカイ​

​塔孩​​タカイ​(卽ち塔乞。速勒都︀思 氏、赤勒古台の弟、卷三より見え、元史 阿塔海︀の傳に「阿塔海︀、遜都︀思人。祖︀ 塔海︀ 拔都︀兒、驍勇善戰。嘗從太祖︀、同飮黑河水、以功爲千戶」とあり。

​察合安 豁阿​​チヤガアン ゴア​

​察合安 豁阿​​チヤガアン ゴア​(卽 捏兀歹 察合安 兀洼、捏兀思 氏 又 赤那思 氏、卷三より見え、荅闌 巴勒主惕の戰に死にたり。これも贈︀官にして、卷八〈[#「卷八」はママ。実際は卷九]〉なる勅語に依れば、その子 納𡂰 脫斡哩兒にその職を襲がせたるなり。

​阿剌黑​​アラク​

​阿剌黑​​アラク​(你出古惕 巴阿𡂰 氏、失兒古額禿 額不堅の子、卷五に見え、元史 伯顏の傳に「伯顏、蒙古 八隣 部人。曾祖︀ 述律哥圖、事太祖︀、爲八隣 部左千戶。祖︀ 阿剌 襲父職、兼斷事官」とあり。

​鎖兒罕 失喇​​ソルカン シラ​

​鎖兒罕 失喇​​ソルカン シラ​(速勒都︀思 氏、四傑の一人なる赤老溫の父、卷二より見え、蒙古 源流に蘇勒都︀斯の托爾干 沙喇〈[#「托爾干 沙喇」は底本では「托爾 干沙喇」。]〉とあり。九十五の千戶の中に赤老溫の名 見えざるは、その父 猶 存して、現に千戶となれるが爲ならん。

​不魯罕​​ブルカン​

​不魯罕​​ブルカン​(元史 忽林失の傳に「忽林失、八魯剌䚟 氏。曾祖︀ 不魯罕 罕剳、事太祖︀、從平諸︀國、充八魯剌思 千戶」とあり。罕剳は、一種の稱號なるべし。その義は、考へ得ず。

​合喇察兒​​カラチヤル​

​合喇察兒​​カラチヤル​(巴嚕剌思 氏、速忽 薛禪の子、卷三にも見え、卷十にも見ゆ。

​闊可搠思​​ココシユス​

​闊可搠思​​ココシユス​(卽ち闊闊搠思、巴阿𡂰 氏、卷三に見え、卷十に闊客搠思ともあり。

​速亦客禿​​スイケト​

​速亦客禿​​スイケト​(卽ち雪亦客禿 徹兒必、晃豁壇 氏、卷三より見えたり。

​乃牙阿​​ナヤア​

​乃牙阿​​ナヤア​(卽ち納牙阿、你出古惕 巴阿𡂰 氏、失兒古額禿 額不堅の子、阿剌黑の弟、卷五に見えたり。

​冢率​​チユンソ​

​冢率​​チユンソ​(卽ち種索、卷三に見えたり。卷三の譯文には種篩とあり、卷十には種賽とあり。

古出古兒

​古出古兒​​グチユグル​(卽ち窟出古兒、別速惕 氏、迭該の弟、卷三に見えたり。卷九の勅語に依れば、古出古兒は、札荅喇惕の木勒合勒忽と二人にて一つの千戶となれるなり。

​巴剌 斡囉納兒台​​バラ オロナルタイ​

​巴剌 斡囉納兒台​​バラ オロナルタイ​(札剌亦兒の巴剌に別たんが爲に、姓を加へたり。錢大昕の元史 氏族表に、元統癸酉 進士錄を引きて、濮州の蒙古 軍戶なる買閭は、斡羅台 氏にして、その曾祖︀ 八郞は、千戶となれりとあり。八郞は卽ち巴剌、斡羅台は、卽ち斡囉納兒台なり。

​荅亦兒​​ダイル​

​荅亦兒​​ダイル​(兀洼思 篾兒乞惕の荅亦兒 兀孫、卷二より見えたり。豁兒赤 兀孫も、只 豁兒赤とのみも云へば、荅亦兒 兀孫も、只 荅亦兒とも云へるなるべし。初は敵なれども、女 忽闌 合屯を獻じて寵せられたる故に、外戚を以て功臣の列に入りたるならん。親征錄には、兀花思 蔑兒乞 部長 帶兒 兀孫、已に降りて復 叛き、闖拜 等に討ち平げられたりとあれども、祕史には荅亦兒の叛けること見えず、叛けるものは、篾兒乞惕の他の部眾なり。又 喇失惕 額丁の部族考に客咧亦惕の人 荅亦兒あれども、この荅亦兒とは異なり。

​木格​​ムゲ​

​木格​​ムゲ​(卷十に蒙客とあり。元史 孛蘭奚の傳に「孛蘭奚、雍吉烈 氏、世居應昌。祖︀ 忙哥、以后族太祖︀宿衞」とある翁吉喇惕の忙哥なるべし。

​不只兒​​ブヂル​

​不只兒​​ブヂル​(元史に布智兒と書きて、短き傳あり。蒙古の脫脫里台 氏、紐兒傑 拔都︀の子にして、父子ともに太祖︀に事ふと云へり。脫脫里台も塔塔兒なるべし。憲宗紀に憲宗 卽位の初「以牙剌瓦赤 不只兒 某某等燕京等處行尙書省事」とあ