るべけれども、首の離れざるを幸とするなり。蒙古の舊俗にて、皇族の罪ある者︀を殺︀すには、多くこの特典を用ひたり。) 死シにて臥フさば、我ワが死骸シカバネは高タカき地トコロにて永ナガく遠トホく爾ナムチの子孫シソンの子孫シソンに至イタるまで護マモりて與アタへん。幸サキはふる[鬼カミ]となるぞ、我ワレ。根原オホモトの別コトなる生殖セイチヨクあるものなりき、我ワレ。(札荅㘓 氏は、孛端察兒の裔に非ず、孛兒只斤 氏と異なるが故に、根原 異なりと云へり。)許多アマタの生殖セイチヨクある安荅アンダの威靈ヰレイに壓オされたるぞ、我ワレ。我ワが言イへる言コトバを忘ワスれず、晩オソく早ハヤく想オモひて語カタり合アへ。今イマ 我ワレを疾トくせよ」と言イへば、
これに依ヨり彼カレの言コトバに成吉思 合罕チンギス カガン 言イへらく「我ワが安荅アンダは、外ホカに行ユきても、我等ワレラを口一杯クチイツパイに謂イひ(譏り)命イノチに害ガイを彼カレの考カンガへたることを聞キかざりしぞ。學マナばるゝ人ヒトなりき。[然シカれども]彼カレ 肯キかず(明譯是ナレドモ㆘可ベキ㆓以學マナブ㆒的ノ人ヒト㆖、他カレ不ズ㆑肯アヘ㆑活イキ、待マテリ㆑敎シムルヲ㆓他死カレニシナ㆒)。死シなしめんと云イへば。卦ケに入イらず。(已むを得ず、殺︀さんとて占卜すれば、殺︀すべしと云ふこと、卦に現れず。蒙韃 備錄に「凡占卜、吉凶進退殺︀伐、每用㆓羊骨㆒、扇 以㆓鐵椎火㆒椎之、看㆓其兆坼㆒、以決㆓大事㆒、類︀㆓龜卜㆒也」と云ひ、黑韃 事略に「其占筮、則灼㆓羊之枚子骨㆒、驗㆓其文理之逆順㆒、而辨㆓其吉凶㆒。天棄天予、一決㆓於此㆒、信㆑之甚篤。謂㆔之燒㆓琵琶㆒。事無㆓纖粟㆒必占、占不㆓再四㆒不㆑已」と云へるは、蒙古の卜法なり。耶律 楚材の傳にも「帝每㆓征討㆒、必命㆓楚材㆒卜、帝亦自灼㆓羊胛㆒以相符應」とあり。)理由リイウなく命イノチに害ガイを爲ナさば善ヨからじ。重オモき道理ダウリある人ヒトなり。この必カナラず(このは理由に、必ずは言へに掛かる。)彼カレの[殺︀コロさるべき]理由リイウを言イへ。「前サキに搠只 荅兒馬剌シユヂ ダルマラ、台察兒タイチヤル 二人フタリの馬羣バグンを奪ウバひ合アひたる故ユヱに、札木合 安荅ヂヤムカ アンダは、直タヾチに敵對テキタイして來キて、荅闌 巴勒主惕ダラン バルヂユトに戰タヽカひて、者︀咧捏ヂエレネの隘ハサマに追オひ入イれて我ワレをそこに怕オソれしめざりしか、汝ナンヂ。今イマ 伴トモとならんと云イへば、肯キかず、汝ナンヂの命イノチを愛ヲシめ