Page:成吉思汗実録.pdf/202

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を​逐​​オ​ひて、​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​ふるに、

叢行き 海︀立合ひ 鑿戰ひ

​叢​​クサムラ​[の​如​​ゴト​き]​行​​ユ​きを​行​​ユ​きて​海︀​​ウミ​[の​如​​ゴト​き]​立合​​タチア​ひを​立合​​タチア​ひて、​鑿​​ノミ​[の​如​​ゴト​き]​戰​​タヽカ​ひを​戰​​タヽカ​はん」と​云​​イ​ひ​合​​ア​へり。(叢行きは、廣がり行くこと、海︀立合ひは、廣がれる陣立、鑿戰ひは、烈しき突︀擊なり。黑韃 事略に「其行軍。常恐伏、雖偏師、亦必先發精︀騎四散而出、登高眺遠、深哨一二百里間、掩捕居者︀、以審左右前後之虛實」と云へるは、卽ち謂はゆる叢行きなり。「其陣、利戰、不利不進、動靜之間、知敵强弱、百騎環繞、可萬眾、千騎分張、可百里」と云へるは、卽ち謂はゆる海︀立合ひなり。「摧堅陷陣、全藉前鋒、衽革當先、例十之三」と云ひ、又「交鋒之始、每以騎隊徑突︀敵陣。一衝纔動、則不取寡、長驅直入、敵雖十萬、亦不支」と云へるは、卽ち謂はゆる鑿戰ひなり。)かく​云​​イ​ひて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​自​​ミヅカ​ら​先鋒​​センポウ​となりて、​合撒兒​​カツサル​に​中軍​​チウグン​を​整​​トヽノ​へさせて、​斡惕赤斤 那顏​​オツチギン ノヤン​に​從馬​​ジウバ​を​整​​トヽノ​へさせたり。

​乃蠻​​ナイマン​の退き 蒙古の進み

​乃蠻​​ナイマン​は、​察乞兒馬兀惕​​チヤキルマウト​より​退​​シリゾ​きて、​納忽​​ナク​の​崖​​ガケ​の​前​​マヘ​なる​山​​ヤマ​の​裾​​スソ​に​緣​​ヨ​りて​立​​タ​ちき。かくて​乃蠻​​ナイマン​の​斥候​​モノミ​を​我等​​ワレラ​の​斥候​​モノミ​は​逐​​オ​ひて、​納忽​​ナク​の​崖​​ガケ​の​前​​マヘ​なる​彼等​​カレラ​の​大​​タイ​ ​中軍​​チウグン​に​遇​​ア​ふまで​逐​​オ​ひて​到​​イタ​りき。かく​逐​​オ​ひて​到​​イタ​れるを​塔陽 罕​​タヤン カン​ ​見​​ミ​て、​札木合​​ヂヤムカ​はそこに​乃蠻​​ナイマン​と​共​​トモ​に​出陣​​シユツジン​して​來​​キ​ ​合​​ア​ひて、そこに​居​​ヲ​て、

​塔陽 罕​​タヤン カン​ ​札木合​​ヂヤムカ​の問答

​塔陽 罕​​タヤン カン​は​札木合​​ヂヤムカ​に​問​​ト​ひけり。「​彼等​​カレラ​はいかに。​多​​オホ​き​羊​​ヒツジ​を​狼​​オホカミ​ ​追​​オ​ひて​圈​​ヲリ​に​到​​イタ​るまで​追​​オ​ひて​來​​ク​るが​如​​ゴト​きは、これらはいかなる​人​​ヒト​か かく​追​​オ​ひて​來​​キ​ぬる」と​問​​ト​へり。

人肉にて養へる四狗

​札木合​​ヂヤムカ​ ​言​​イ​はく「​我​​ワ​が​帖木眞 安荅​​テムヂン アンダ​、​四​​ヨ​つの​狗​​イヌ​を​人​​ヒト​の​肉​​ニク​にて​養​​ヤシナ​ひて、​鎖​​クサリ​つけて​繫​​ツナ​ぎて、​居​​ヲ​るなりき、​彼等​​カレラ​。​我等​​ワレラ​の​斥候​​モノミ​を​追​​オ​ひて​來​​キ​ぬるは、​彼等​​カレラ​なるぞ。​彼等​​カレラ​ ​四​​ヨ​つの​狗​​イヌ​は、​銅​​アカヾネ​​失咧門​の​額​​ヒタヒ​あり、​鑿​​ノミ​​失兀赤​の​嘴​​クチバシ​あり、​錐​​キリ​​失不格​の​舌​​シタ​あり、​鐵​​クロガネ​​帖木兒​の​心​​コヽロ​あり、​環刀​​クワンタウ​の​鞭​​ムチ​あり、​露​​ツユ​​失兀迭兒​を​喫​​ノ​みて、​風​​カゼ​に​乘​​ノ​りて​行​​ユ​く、