を汪古惕オングトの阿剌忽石 的吉惕忽哩アラクシ チギトクリに言イひて遣ヤるには「この東ヒガシに些スコシの忙豁勒モンゴルありと云イはれたり。汝ナンヂは右ミギの手テとなれ。我ワレはこゝより力チカラを幷アハせて彼カの少スコしの忙豁勒モンゴルの箭筒ヤナグヒを取トらん」と云イひて遣ヤりき。
その言コトバに、阿剌忽石 的吉惕忽哩アラクシ チギトクリ 答コタへて言イはく「右ミギの手テとなること能アタはず、我ワレ」と云イひて遣ヤりて、阿剌忽石 的吉惕忽哩アラクシ チギトクリは、月忽難︀ユクナンと云イふ使ツカヒもて成吉思 合罕チンギス カガンに言イひて遣ヤるには「乃蠻ナイマンの塔陽 罕タヤン カンは、爾ナムチの箭筒ヤナグヒを取トりに來コん。我ワレに右ミギの手テとなれと云イひて來キぬ。我ワレは爲ナらず。今イマ 我ワレ 爾ナムチに警吿ケイコクして遣ヤりぬ。(明譯補足若モシ 不ズバ㆓隄防
駱駝が原ラクダガハラの圍獵マキガリ
帖篾延 客額兒テメエン ケエル(駱駝が原。親征錄 元史帖麥該 川テメゲイ セン、親征錄 また 帖木垓 川)に圍獵マキガリして、禿勒勤扯兀惕トルキンチエウトを圍カコみて居ヲる時、阿剌忽石 的吉惕忽哩アラクシ チギトクリの遣ヤりたる月忽難︀ユクナンなる使ツカヒ この報シラセを致イタし來キぬ。こ