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跋にして、便宜の爲に、今の寫本にては、その篇首に弁せり。今本の來歷を述べたる者︀なれば、今本は、卽ち​顧廣圻​​コクワウキ​の​校勘本​​カウカンボン​なり。書の名を​撰人​​センジン​の名と誤れるは、蒙古語を解せざる人に​已​​ヤ​むを​得​​エ​ざる事として、この​完善​​クワンゼン​なる古史を世に傳へたる​功​​コウ​は​沒​​ボツ​すべからず。

 ​道光中​​ダウクワウチウ​、​平定​​ヘイテイ​の​張穆​​チヤウボク​は、祕史の譯文を大典より​寫​​ウツ​し​出​​イダ​し、​仁和​​ジンクワ​の​韓氏​​カンシ​より​影鈔 原本​​エイセウ ゲンポン​阮元の十五卷本かを借りて​校對​​カウタイ​し、​連筠簃​​レンキンイ​ ​叢書​​ソウシヨ​に​入​​イ​れて​出板​​シユツパン​し、​光緖​​クワウチヨ​ 二十年、明治 二十七年、​上海︀​​シヤンハイ​の​復古 書局​​フクコ シヨキヨク​にて復その本を​石印​​セキイン​に​附​​フ​し、​長春 眞人​​チヤウシユン シンジン​の​西遊記​​サイユウキ​、​張穆​​チヤウボク​の​蒙古 遊牧記​​モウコ イウボクキ​と​一帙​​イツチツ​の​縮本​​シユシホン​として​賣​​ウ​り​出​​イダ​したれば、十五卷本の譯文は​得易​​エヤス​くなりたれども、​顧氏​​コシ​の​校勘 全本​​カウカン ゼンポン​は、​益​​マス ​希見​​キケン​の​珍書​​チンシヨ​となり、​輾轉​​テンテン​して​國子 祭酒 宗室​​コクシ サイシユ ソウシツ​ ​盛昱​​セイイク​の​藏​​ザウ​に​歸​​キ​せり。​光緖​​クワウチヨ​ 十一年、明治 十八年、​翰林 學士​​カンリン ガクシ​ ​萍鄕​​ヘイキヤウ​の​文廷式​​ブンテイシキ​は、​盛昱​​セイイク​の本を借りて、​順德​​ジユントク​の​李侍郞​​リジラウ​ ​文田​​ブンデン​と​各​​オノ一部を寫せり。​文廷式​​ブンテイシキ​の​序​​ジヨ​に「於​海︀內​​カイダイ​始メテ​有​​アリ​三部」と云へり。​是​​コレ​より​先​​サキ​に​李文田​​リブンデン​は、祕史に​注​​チウ​せんとし、​連筠簃本​​レンキンイボン​を以て​主​​シユ​となし、​陽城​​ヤウジヤウ​の​張敦仁​​チヤウトンジン​の本を參考に用ひたり。​張本​​チヤウホン​は「​從​​ヨリ​​元槧足本​​ゲンザンソクホン​​影出​​ウツシイダシ​、作十卷、又續二卷」と云ひ、​題目​​ダイモク​の​下​​シタ​に​忙豁侖 紐察 脫察安​​モンゴルン ニウチヤ トチヤアン​なる​夾注​​ケフチウ​ありし​由​​ヨシ​なれば、これも​顧本​​コホン​の寫しなるべし。李氏は、初に張本を借り用ひ、後に盛昱本を寫し取れるなるべし。李氏の注 成れる​頃​​コロ​は、盛昱本の寫しも​坐右​​ザイウ​にある​筈​​ハズ​なれども、今その注を見るに、蒙古文より​裨益​​ヒエキ​を得たりと​覺​​オボ​しき​所​​トコロ​なし。