Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/223

このページは校正済みです

とあるのも其の間の消息を物語つて居るものであらう。唯其の金額は時代によつて 多少宛の差があつたらしい。對馬の人が今に三郞右衛門の德を慕ひ、甘藷先生の名 を以て呼んで居るのも無理ならぬ事と思はれる。

對馬方言では甘藷を一般にかうかういもといひ、普通の談話に際しては「コウコイモ」と響 かせて居る。唯南端の近傍でからいもといふのが異樣の感じを起させる。扨て此の 孝行藷なる語の語原は何であるか、之に就き訥庵の「甘藷說」に支那起原なりとて、 「昔貧困なる家あり、病父が甘藷を口にせんことを欲したので、其の子が山中に入り 辛うじて之を求め出し、父に進めたので、父は非常に喜んだ。これより此の藷を孝 行藷といふ」と記してある相である。

兎に角對馬に於ける甘藷は他の地方に於て見ることを得ぬ重要なる價値を有し、生 藷の無い時節には、田舍では豫め之を貯藏して置いて食ふのである。田舎を旅行す ると、水田は容易に發見するを得ず、見渡す限り甘藷の畑を以て埋められて居る所