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なつた點があつて、自ら別種のスタイルを成して居ります。

それからアイザニから再びキュタヤに歸つて更に歩を進めて東北七十七粁に於けるエスキシエヒール即ち古都に行きました、こゝは海抜二千六百尺、人口一萬餘、古へのドリレオンてあると云ふことです。此所には有名な温泉があります、温度は攝氏の五十度で少しく硫黄を含み酸味があります。又メールシヤウムを夥しく産します、市から東方二三十粁の處に最多く出るので二千人もその採掘に從事して居るそうです、土人は之を以てパイプなどを製して居ますが至て不器用な細工です、温泉は市の中に公衆の混浴場があります、この市中には別に古建築の見るべきものはありません。

私はエスキシエヒールを出發して東方二百六十一粁に當るアンゴラ州の首府アンゴラ市まで行つて見ました。途中は一望百里の平野で牧草がよく繁て居る斗り、更に樹林も耕地も見へません山もみな裸です、其の間に牛羊の群が點出されて居る、光景は丸で北清と同しことです、

さてアンゴラ市は一の小丘の上に畵の如く建てられた都會で、人口二萬八千、海抜二千七百九十尺です、此の地方は昔のガラチアと云ふ國に當りまして、羅馬のアウグストス帝の時ガラチアの首府であつたのであります、其の後西暦千三百六十年にムーラッド第一、この地を占領しましたが、千四百〇二年に帖木兒が韃靼から來て小亜細亜を襲ふた時にオスマンのスルタンなるベヤヂッド第一が之と此のアンゴラに會戦して大敗し、帖木兒の爲に捕へられたので有名な古戦場となりました、市内に遠跡も澤山あります、第一はアウグステウムと云ひアウグストスが建立した寺でありま

 (小亞細亞横斷旅行談)八一(81)