この集を一讀して先づ私の感じたのは、著者土岐哀果氏が蓋し今日無數の歌人中で最も歌人らしくない歌人であらうといふ事であつた。其の作には歌らしい歌が少い――歌らしい歌、乃ち技巧の歌、作爲の歌、裝飾を施した歌、誇張の歌を排するといふ事は、文學上の他の部面の活動の後を引いて最近一二年の間に歌壇の中心を動かした著るしい現象であつたが、然し我々は自らそれを唱へた人の作に於ても、多作の必要乃至其他の理由から、往々にして其所謂歌らしい歌の交つてゐる事、或はさういふ歌の漸く多くなつて行く事を發見して、失望させられる。其の弊の最も少いのは蓋しこの集の著者であらう。特に其の後半部は、日常生活の中から自ら歌になつてゐる部分だけを一寸々々摘み出して、其れを寧ろ不眞面目ぢやないかと思はれる程の正直を以て其儘歌つたといふ風の歌が大部分を占めてゐる。無理に近代人がつて、態々金と時間とを費して熟練した官能の鋭敏を利かせた歌もない。此作家の野心は寧ろさうした方面には向かはずして、歌といふものに就いての既成の概念を破壞する事、乃ち歌と日常の行住とを接近せしめるといふ方面に向つてゐる。さうして多少の成功を示してゐる。又多くの新聞記者があらゆる事件を自分の淺薄な社會觀、道徳觀で判斷して善人と惡人とを立所に拵へて了ふやうに、知つてる事、見た事、聞いた事一切を、否應なしに、三十一文字の型に推し込めて歌にして了ふやうな壓制的態度もない。さういふ手腕は幸ひにして此の作者にはない。たゞ誰でも一寸々々經驗するやうな感じを誰でも歌ひ得るやうな平易な歌ひ方で歌つてあるだけである。其所に此の作者の勇氣と眞實があると私は思ふ。
猶此の集は、羅馬字にて書かれたる最初の單行本としてローマ字ひろめ會の出版したものである。
(明治43・8・3「東京朝日新聞」)
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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