鹿苑院殿嚴嶋詣記

鹿苑院殿嚴嶋詣記

貞世


左のおほいまうち君義滿安藝の國嚴嶋まうでのことあり。此たよりにさすらひ給て。いそのかみふるき都のあとなれば。つくしの國をも御覽ずべきなるべし。かつは浦づたひのめづらかなる所々をも御覽じ。かつは四の國にいたりて。やまと言の葉歌つといふ處をも御らむじ。又は武藏入道〈賴之朝臣。〉ふるき好をもとぶらはせ給ベきにや。御舟よそひの事は。やがてかの入道うけたまはりて。百餘そうたてまつるなるベし。舟のうちにてのさうやく。みなこの人のまうけなり。むかしもいつくしまには高倉八十代院御幸なり。平のおほきおほいまうち君淸盛も。たびたびまうでられしためしも侍けめども。此たびはひきかへてめづらしき御すがたどもにて。はなだ色にめゆひとかやいふもむをそめて。袖口ほそくすそひろきうちかけといふものをおなじすがたにき給。赤き帶に靑色のはゞき赤色のみじかき袴也。御ともの人々みなみさきばかりなる金がたなどもさゝせらる。かたはらのにはそしり侍りけめども。かやうのことはあながちに法も式もさだまらず。たゞ時代にしたがふことぞかし。いまやうなどとてさだまりたる器などをだにも。はじめてしいだして用いらるゝためし。古もなきにしも侍らねば。そしりはかへりて道せばきなるベし。旅の衣のたつ日さだまりて。康應後小松元年三月四日夜ふかく都を出させ給ふ。東寺の南の門うち過程に。かの寺のかねの聲もきこゆめり。桂川のほとりとおぼえて。火の影所々にみゆ。こあゆとるなりけり。げに瀨にひかるらむかし。その日のむまの時ばかりに攝律國兵庫の津につかせ給ぬ。御ましの舟にまいるべき人々かねて定らる。

 修理大夫。    右京大夫。

 日野弁。     畠山左近大夫將監。

 同七郞。     今川關口修理亮。

 眞下。      古山十郞。

このほかはをのの舟にて參侍り。

 畠山右衞門佐。  山名播磨守。

 細川淡路守。   土岐伊豫守。

 探題。伊豫入道。 今川越後入道。

 同右衞門佐。   同中務大輔。

 伊勢右衞門入道。 曾我美濃入道。

 朝倉因幡守。   若王寺別當。

 古山珠阿。    松壽丸。

 士佛。

かやうの人々也。侍二三人しもべ三四人ばかりめしぐすべしと定下さるれば。舟數よりも人かずはすくなかりき。兵庫にては赤松の千菊丸。此ところのあるじ申侍けり。まことにこゆるぎのいそぎありくさま。ことはりとみゆ。其夜の曉に御舟にうつらせ給。百よそうの舟どもみなともづなをとくめり。人々は兼て舟に乘て夜をあかし侍けり。

 浪枕かゝる覺のありけるを老のならひと何かこちけむ

波の上やうしらみ行ほどに。和田のみさき。明石のせと。淡路のせと。とがり崎などいふ浦々過させ給。げにも山水のたゝずまゐ。繪にかゝまほしくみゆ。けふ五日。雨風はげしくなりて。あまのをしてもいとゞたゆきにや。夜中ばかりになりて。たて崎とかやいふ海中にいかりをおろして御舟をとゞめらる。四方の空くらかりしかば。御舟を洲にこぎかけしかどもわづらひなかりき。御座のふねばかりにかゞりを二たてらる。是をことふねどものしるべとせり。

六日。御舟いでて。うしまど。ま井のすなどにいたりぬ。まことや此うしまどといふ所は。むかしおきながたらしひめの御舟出のとき。けしかるうしの御舟をくつがへさむとしけるを。住吉の御神のとりてなげさせ給しかば。かの牛まろび死けるが嶋と成て。それよりうしまどといふ也けり。牛まろぶと書て。うしまどとよむとなむ聞侍しなり。ま井のす。つちのとなどといひてかたき所々いまぞとをらせ給。此所はしほのかなたこなたに行ちがふめり。宇治の早瀨などのやうなり。しほの落合て。みなはしろく流れあひて。しほさい早くのぼればくだるなり。稻舟ならましかばさほとりあへじかしとみゆ。つちのとといふは。大づちこづちとて嶋山ふたつ北南にならびたるあはひをとをるせとなるべし。早しほにをし落されじと。舟子ども聲をほにあげてこぎなめたり。ゐの時ばかりにおきの方にあたりてあし火のかげ所々に見ゆ。これなむ讃岐國うた津なりけり。御舟程なくいたりつかせ[衍歟]給ぬ。

七日は是にとゞまらせ給。此處のかたちは。北にむかひてなぎさにそひて海人の家々ならべり。ひむがしは野山のおのへ北ざまに長くみえたり。磯ぎはにつゞきて古たる松がえなどむろの木にならびたり。寺々の軒ばほのかにみゆ。すこしひき入て御まし所をまうけたり。かの入道こゝろをつくしつゝ。手のまひ足のふみ所をしらず。まどひありくさま。げにもことはりとみゆ。いかめしき御まうけとは見ゆめれども。心ざしの程にはなををよび侍らぬとやおもひけむありがたかりき。奉るくさぐさいかめしき事也。人々に給ふ物も御はかし。よろひ。みなよのつねならずみがけるならし。八日の朝御舟出也。此かしこまりとて。武藏入道おや子。これより御とも舟にまいれり。海の上三里あまりこぎて。さなきといふ所にて。雨風けはしく波いとたかゝりしかば。此浦イわに御泊有。いかりおろしたる舟ども夜もすがらたゆたふさま心ぼそかりき。

 名にしおはゝさてしもあらて浦風のさなきはなとかはけしかる覽。

九日。またこぎいださせ給ふ。備後國おの道といふ處の西に。くぢら嶋。いとさき。いくらの嶋などいふ浦々北にあたりてみゆ。この所々はいにし比つくしへ下り侍し時通侍しなりけり。此南にいよの三嶋はるかにかすみたり。今夜は安藝國高崎といふ海べたに御舟をかけらる。

十日。またこぎ出させ給。たかはしイ。みつかさ。はや山。內の海。かうしろ。ひろくれ。はたみ。かまかりのせと。かやうの浦々過させ給へり。此國のたか谷といふもの舟にて參りたり。大內左京權大夫をそくまいるよしおほせらると聞ゆ。おむどのせとといふは瀧のごとくにしほはやくせばき處なり。舟どもをしおとされじと手もたゆくこぐめり。

 船玉のさも取あへすおち瀧つ早きしほせを過にけるかな

とよ嶋などをしすぐる程に。又夜に入て子の時ばかりに嚴嶋につかせ給。御社のうしろに黑木の御旅所をつくれり。今夜は舟のまゝにとまりたる人もおほかるベし。

十一日。御社ふしおがませ給て。御前の濱の鳥井のほとりよりかごにて御舟にうつらせ給へり。御社のらう拜殿などにみこ內侍やうのかむづかさ女どもたちこみたり。かもめのむらがれ居たるにいとよくにたり。それよりおかだとかや云は。おほたき川とて。安藝と周防のさかひの川の末の海づら過て。周防の國岩國ゆふむろ岡などいふ所々きたにみゆ。しろの嶋。伊豫の國道別の山など南にあたりて霞つゝ浪の上もうちけぶりたり。夜舟は心もとなかるベしとて。かうしろといふ海上に御とまりなり。

十二日。大畠のなるととて。しまあまたある中をかなたこなたに舟どもこぎわかれて。末にて又めぐりあふめり。

 高しほになるとこくめる友舟の蜑の手棹はまなくとらなん

あひの浦すぎて。むろづみと云所に至ぬ。むかし生身の文殊のみかほおがまむとちかひける人につげ有て。これこそ生身の文殊よとて。此所の遊女ををしへける所ぞかし。所のさままことに面白し。岩ほ高くきりしぎてそびえたる峯三四ならびつゝ。松柏むろなどいふ深山木苔おひさがりてうき雲うすくかゝれり。此山のひんがしにしの脇に舟の泊あり。その西北になぎさにそひて松原ひとすぢ霞につゞきて。白濱も浪もひとつにみゆ。にゐの湊こぎ過て。くだ松といふとまりにつかせ給ふ。大內左京大夫はこゝにぞまいりためる。御旅のかれ飯みきなどさままいる。

 あま乙女しつはたをらぬくた松も浪の白絲よりやかく覽

十三日。この國の國府の南。たかはまといふ浦ばたのみたじりといふ松原に御旅所をたてたり。此松原はいそのかみ嚴嶋の明神こゝにあまくだりまして。今のいつくしまにはうつらせ給ければ。げにぞ神さびたるや。銀をしけるやうなるいさご。西東のすさきの中を入江のやうに二すぢばかりしほさし入て。浦松のいたくこだかゝらで枝ざし老かゞまりて木だちつくろへるやうなるむらおひて。其中にちいさき社のふりたるぞおはします。

 松原や高すの梢こゆるまて月のてしほの更にける哉

猶人々は舟にぞとゞまりたる。

十四日。さるの時ばかりに御舟出なり。四里ばかりこぎいでて。大江などいふ過て。おとまりといふ泊ちかくなるほどに。西風吹おちて。浪たかく打かけ侍る程に。又御舟をしなをして。跡のたかすのむかへ嶋といふうらに御舟を懸たり。

十五日にぞこぎ出し給。此たびは五里ばかり行て。赤崎と云浦にて。又大風むかひて更に御舟ゆかず。是よりこぎかへさせ給て。岩やどといふ浦にとゞまらせ給ふ。夜に入てなを大風はげしくて。神なりすさまじければ。はし舟にてたゞ御一所ばかり。田嶋といふうらばたの海人の家に。草のおましをよそひておはします。舟どもは海上になをとゞまりぬ。大內も御ともにまいれり。

十六日の朝。武藏入道や探題などに仰含らるる事あり。浪風かうやうにあるゝによりておぼしめすやう有。此たびは是より歸のぼらせ給て。しづかにかちぢをこそくだらせたまはめ。いかゞ侍べきと仰らるゝ。探題は我かたにいらせたまふを申とゞめむこと世のそしりもやとおもひけめども。此たびの浪風のさはりたゞごとともおぼえ侍らず。かつは都にもいそがせ給べきことのわたらせ給にこそと思に。人のそしりを忘つゝ歸り上らせ給べきよしを申けり。武藏入道もおなじ心に申めり。是はなを御のぼりにもうたつによらせ給べきことをことぶき申さむの心もや侍けむ。此こと定て。けふは又たかすにかへらせたまひぬ。

十七日は是にとゞまらせ玉ひぬ。今河越後入道は是よりまかり申て。かちぢよりつくしに下りしかば。御はかしなど給りて。かたじけなきおほせどもうけたまはりしかば。うれしなきの淚袖もしほゝに見えしなり。此たよりにつくしの人にもみせよとにや。御みづからさまざまの事どもかゝせ給て。御文一くだり探題にたまはりけり。老の後のめいぼくなるベし。やがてつくしにつかはしけるとなむ。今日備後より山名宫內少輔まいれり。御のぼりに尾の道を御覽ぜさすべきよし申。父の左京大夫〈伊豫守〉は。やまひによりてまいらず。

十八日。かまどの關に御かへり有。これにて大內一ぞくども伊與の河野など御目にかゝりきときこゆ。今朝をひ風有とて出させ給。

十九曰。かまどの關より周防國やしろの嶋。よこみ。いつゐ。あき。ふなこしなどいふ浦々嶋々とをらせ給。此南のかたにあたりて。伊豫國まさきがふろ。いほたうのうらのせと。ふたかみまさかりのせと。はしかみのせと。ぬわとつくつイなつわなどいふ所には。嶋々いくらも四方にならびたり。

 あさなけに蜑のかるてふ藻鹽草たゝやかまとの關といふ覽

 夜を寒みかさねやせまし旅衣はるたにあらきあきのうら風

今夜は廿五里ばかりこぎて。安藝國かまかりに御舟とゞめらる。黑イ嶋とかいふ所也。

廿日。いかりをとりて。內の海。たかみ。たかさき。ひきしま過て。にふの浦と云所にとゞまらせ給。東風むかひて浪あらければ。しばらくかからせたまふ。日の入ほどに風すこしなぎたり。又御舟をこがせらる。夜に入てなを雨風おどろおどろしく成しかば。舟ども思ひにこぎわかれて御ふねははるかにさかりけるをもしらず。御舟を洲にをしかけてゆかざりければ。はし舟をめしてたゞのうみの浦と云所のいそぎはにあしふける小屋にやどらせ給ひける程に。しほみちきて御舟おきぬとてまいれり。又めしてこがせ給。

 うきねする沖つ泊をいそけとや明ぬ夜しほに船のおくらん

しほのひてゐたる舟の。しほみちてうかぶをば。おくるといふにこそ。

廿一日。御舟出。風なを吹はりて。御ふねのや。ほの柱吹おりにけり。いまだ朝のほどに備後國尾道につかせ給ぬ。御座は大寧寺とて天龍寺の末寺なり。海中までうき橋かけて御道とせり。なにとなくめづらしかりき。

 古へにこりかたまりし跡なれやもしほくむてふあまの浮橋

かのほこのしたゝりの事思ひよせられてよめるなるベし。

廿二日。卯時に御舟出。あふとといふせとあり。をひ風はげしく浪高かりしかば。船どものほをおろしてこぎかさねしかば。手ざほどもきびしくとりてこぎ過たり。此處は嶋一南方へさし出て。北の山々のあはひのほそき所ををしまはす所なり。海賊とて白浪のたち所なりとぞ。ともの浦の南にあたりて。宇治は□りなといふ嶋々有。箱のみさきといふも侍り。

 へたて行八重のしほちの浦嶋や箱のみさきのな社しるけれ

讃岐國にもなりぬ。やつまといふ嶋わあり。此しまは人の家のつまむきに似たるゆへにいふとなり。二面といふこじまも侍り。松がえなどおひたり。などやこのてがしはのなかるらむとおぼゆ。をひ風ことのほかにはげしくて。ただつといひて。うた津より南なる浦に御舟をよせてあがらせ給。御むかへとて。馬はあれどもかちよりなぎさのひがたにそひてあゆませ給て。いさゝかなる山路を越させたまひて。うた津に又いらせ給。二里ばかりあゆませ給けり。とりの時ばかりにぞいたらせたまひし。この西北のかたにみえたる山は。かのさぬきの院のおはしましけむ松山しろみねなど云めり。

 流れけんむなしき舟の名殘とてたゝ松山の陰そふりぬる

廿三日はこゝにとゞまり給て。武藏入道めされて遙に御物がたり有けるとかや。何ごとにか有けむ。淚ををさへてまかでけるときこゆ。廿四日。出給て。かのやしまといふかたなど見わたして。備前國よもぎ嶋といふ所になりぬ。

 いく藥とらましものをよもき嶋をよふはかりに漕わたる哉

今夜はうしまどに御とゞまりなり。赤松右馬助まいりてあるじつかうまつるなるべし。夜になりてまたかみなりあられふり大雨風になる程に。舟のいかりをとりて此泊のすこしひむがしのわきに舟をなをしき。其ほどのさはぎのゝしる船こどもの聲々。神なりさはぐにもをとらず。まうちぎみばかりは寺の侍しにうつらせ給ひけり。

廿五日。出給て播磨國室の泊につかせたまふ。赤松まいれり。こゝにもうき橋かけて。磯ぎはなる寺にいらせ給ふ。こぎ入程。風あらく浪高くて舟どもあらそふ程に。人々もみな家々にうつれり。かれ飯さけなどもさまにあり。赤松まかなひ侍りけり。いかめしかりき。一時ばかりありて。やがて是よりかちぢをのぼらせ給ふ。御ともにはたゞ御ふねに侍りし人々ばかりなり。

 僧たち。〈絕海和尙。〉   修理大夫。

 右京大夫。    日野辨。

 畠山七郞。    關口修理亮。

 赤松。      眞下。

 古山珠阿。

などばかり也。しもづかへのものまでもみな馬にのせらる。さても武藏入道は。つちのとといふあたりよりいとま申てとゞまりけるにや。御所はけふこの國に常住寺といふ寺にとゞまらせたまひて。とらの時ばかりに出給て。攝津國兵庫津にて朝の御物まいりて。其日都にいらせ給ふとなむ。廿六日なるべし。舟なる人々は。けふ廿六日兵庫につきけり。細川淡路守。大內左京權大夫などなるべし。かちよりをひをひにまいりし人。

 畠山右衞門佐。  同左近大夫將監。

 山名播磨守。   土岐伊豫守。

 探題。      同右衞門佐。

 同中務大輔。

などきこゆ。みな廿七日八日などにぞ京に入ける。

この作品は1930年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。