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大阪の春は瞬(またた)く間に押寄せて瞬く間に行ってしまった。
東京の桜花(さくら)のように横汐吹(よこしぶき)に降る春雨に無惨な散り際(ぎわ)も見せず、広い住吉公園の老松の樹陰を彩取(いろど)った桜花も、しばらくは精あるものの如く静かに咲き誇っていたが、それも七日と寿命を保たないで夕暮の風にほろほろ散って、洗ったような砂地の松の落葉の上に白く雪を敷いていた。
浅海は宿楼(やどや)の欄干(らんかん)に凭(もた)れながら風もないのに庭園の桜花の散って行くのを凝乎(じっ)と眺めていた。せめて今しばしの春を惜む者にはまだ八重のあるということが、どんなに遣(や)る瀬(せ)のない心に頼母(たのも)しい感じを懐(いだ)かしめるであろう。散り際の潔(いさぎよ)くないその八重も大方盛りを過ぎたけれど蜜蜂(みつばち)は残る限りの花の精を吸おうとてか壮(さかん)な唸(うな)り声を立てつつ花心に姿を隠してはまたほかの花にと移っていった。蜜蜂の体が花を揺(ゆす)るたびに浅海の鼻に花の匂が漂うて来るかと思われた。青く澱(よど)んだ池の縁には山吹が黄色く水に影を翳して、蛙(かえる)が時々音を立てて池の中を飛んだ。名も知れぬ其処(そこ)らの草木が見ている間にも鮮(あざ)やかな色に芽を吹くかと思われた。
紅の芽を付けた庭園の扇骨木垣(かなめがき)の外を褪紅赭(たいこうしゃ)の日傘を翳(かざ)した婀娜(あだ)めいた年増(としま)が向うの塩湯に入って行った。
浅海の宿楼の大広間の欄間には、明治十七年に書いた塩湯の効能を説いた大きな額が掲げてあった。その時向うの塩湯も此処(ここ)の家も同時に新築せられて、初めは一軒の家で営業していたのが、汽車が出来たり、電車が通じたりして大浜や浜寺が賑やかになるにつれて此処は何代かの持主に譲り代られて、今では湯屋と料理屋とが別々になったらしい。
浅海はいま、紺の暖簾(のれん)を潜(くぐ)って入ったその年増を何処かで見た女のように思って考えていた。するとそれは直(す)ぐ此の先の郵便切手を売っている家の主婦であったことを思い起した。誰かが、あれは大阪の、方々に支店を持っている牛屋の妾(めかけ)だと教えたことをも思い出した。
湯屋の大きな二階の欄(てすり)にはよくけばけばしい色彩や、大柄の衣類が掛け拡げてあた。障子の中で一日大きな話声がしたり、廊下へ大きな丸髷(まるまげ)の鬘(かつら)を着けた女形(おやま)や陸軍将校の軍服を着けた男が出て立ったりしているかと思うと、っやがて家扶らしい扮装(ふんそう)をした羽織袴(はかま)の男や印半纏(しるしばんてん)を引掛けた職人などと一処に其家を出てぞろぞろ高燈篭(たかとうろう)の石段の処へ行って芝居染(じ)みた真似をした。それを向うの方から写真を撮(と)っていた。
浅海もそれに誘われたように二階を下りて散歩に出て行った。自分の宿楼の外(ほか)は何(ど)れも出来てまだ幾年にもならぬような別荘風の家などが多かった。其処を本宅に、主人は毎日便利な電車に乗って大阪に通うらしい家族もあった。大きな鼠壁の土蔵の建った屋敷もあった。
五六十年前までは此処等あたりまで海であったらしい。浅い小溝(こみぞ)を一つ越すと、其処からは公園の地内になっていて、その中に建っている家はいずれも洒落(しゃ)れた貸席や料理茶屋風な家ばっかりであっあ。浅海はその溝に沿うて歩いた。溝の縁には足の踏み場もないまでに盛に青草が萌(も)えていた。おの小径(こみち)について行くと自然に公園の外を流れている小川の岸に出た。花道を滑ってゆく「野崎」のお染の乗ったくらいの大きさの、田舟が土を積んだ後から後から緩(ゆる)い水の上を滑って遠く濶(ひら)けた野の方へと下って行く。果しもなく広い麦畑も、向うの方の大きな堤も水彩画の絵具で唯一色に塗ったような鮮かな青い色が眼に満ちた。それでも処々にまだ黄色いのや白いのや菜の花が咲き残っていた。その中に小く見えても大きそうな赤い煉瓦(れんが)の工場の煙突が静かに麗(うらら)かな空に煙を吐いている。
浅海はそういう物に眼を楽ませながら、敷島を口に啣(くわ)えたまま小川の岸に沿うて稍(やや)しばらく歩いていたが、危っかしい朽木の橋のあったのを幸に公園の地内に入った。其処にはまだ浅海の一度も足を踏み入れたことのない庭園の拡がりがあった。東京の堀切の菖蒲(しょうぶ)畑よりもまだ古い池の水の中に青い杜若(かきつばた)が盛に茎(くき)を伸ばしている。処々にもう白いのや赤いのや、蕾(つぼみ)の綻(ほころ)びかけた躑躅(つつじ)の繁ったその池の縁に沿うて行くと、池は曲っても曲ってもまだ拡がっていた。その大きな躑躅の繁みに隠れて、其処にも此処にも世を忍んだように瀟洒(しょうしゃ)とした茶席がかかった家が静に建っていた。太い藤の葛󠄀(つる)が柱のように二本突立って、軒先に広い棚を造ったその一軒のお茶屋の廻縁に行って浅海は腰を下した。雅邦の絵に見るような白と薄紫の藤の花が長いのは地から二三尺の処まで垂れていた。
浅海は柱に背を凭(もた)せながら、小女の酌(く)んで出した茶をすすってしばらく足を休めていると、何となく疲れたような心持がして来た。春は、今強い自然の力を以って行くのが眼に見える。彼は黙然として自分を思った。


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「ああ、遊女に精神を奪われている間にとうとう折角の畿内(きない)の春をしみじみ見ずに過してしまった」
嵐山や吉野の花信(はなだより)は早くから紅い絵びらになって電車線路の駅々や大阪の街の辻々などに掲げられて、浅海の情を急(せ)き立たしたのであったが、彼には今の場合、淡い無情の花よりもどうしても矢張り人間の方が好かった。そうして嵐山や吉野に花を探(たず)ねるよりも、われも人も老いては共に再び戯れることの難い有情(うじょう)の春を趁(お)うに心急がれた。
彼は手にするほどの金は何時も気に染(そ)んだ遊女の処へ持って行って、僅(わず)かに最後の電車賃を残すまでに使い果してしまわねば帰って来なかった。勿論(もちろん)彼はそれを決して悔いなかった。悔ゆるどころではない、愛する遊女に存分の銭を蕩尽(とうじん)し得ぬことをんおみ唯(ひろ)り悲しんでいた。
時としては、斯(こ)う自分のように愛人を思いつめては苦しくって遣(や)り場がないと、思い返して見ることもないではなかったが、さればといって自分の今の生活から想っている遊女を取り去って了(しま)えばその後には只空洞(うつろ)な形骸が残るに過ぎないのが眼に見えている。
人は、紅葉山人の小説が肉体に基礎を置かない泡沫(ほうまつ)の人情を徒(いたずら)に写しているに過ぎない、生理学的心理学と歩調を揃えている近代の深い生命の泉から奔(ほとばし)り出た芸術と比(くら)べて、大きな自然を背景にした永遠の運命というようなものを微(ほの)めかしていないといって非難をするが、可矣(よし)、それは首肯するとして、それなら現在の日本の小説家に一人能(よ)く「金色夜叉」の間(はざま)貫一や「多情多恨」の鷲見(すみ)柳之助などの如く、切ない悲恋に身を慨(なげ)き人を怨(うら)んでいる人間を描き出した作家があるかと思って、浅海は前後を回想して見たが、せめて一人も紅葉山人くらいな真率な熱情を籠めて作品を公(おおやけ)にしているものは無かった。浅海は独り断乎としてそう思った。単にそればかりではない。近頃芸術の自然を説く者の作に柳之助が理由(わけ)もなく唯(ただ)嫌った、友人の妻お種を只管(ひたすら)懐(なつか)しがるに到る、如何にも自然な前後の情景を宛(さな)がらに描いているものも無かった。
彼も常に筆を執(と)って机に寄っている人間ではあったが、無論自分にもそういう物はまだ書けなかった。けれども彼の心持だけでは紅葉の書いた人物の悲しい境涯だけは能く解するのであった。そうして誰よりも自分は最もそれを能く解しているとさえ信じていた。
小説の中に議論を挟むことは、この作者も極力排斥する方であるが、一つは、この作者にもまだ渾成(こんせい)した創作を以(もっ)て凡(すべ)ての読者を首肯せしむるに足るほどの作が無いのと、一つは、多少それを表現していてもそういう情緒と理解とを天性有(も)ち得ない読者がそれを理解することが出来ないのを残念に思って語るのであるが「金色夜叉」「多情多恨」を通して見ても、故人の作品が人生の姿をも本質をも大半恋と愛との繋縛(けいばく)と観じていたのが略(ほ)ぼ察せられる。宮に背(そむ)かれた貫一の悲憤の恨みも、また愛妻お類に死なれた柳之助の愚痴の恨みも、形こそ違え皆なその奥底の恋と愛とその変形とを以て、人間の生命とし人生の姿としている点は同じであった。そうして此の人情と道理とは、真個(ほんとう)に能くモンナ・ヴァンナを読み得る者、「僧房の夢」を読み得る者、アンナ・カレニナを読み得る者、マダム・ポヴァリイを読み得る者、はた近松西鶴を読み得る者にはこの作者の今更らしい冗説を待(また)ないで夙(つと)に解っている筈なのである。唯泡沫の人情とや、その泡沫がやがてこの世の姿ではないか。少くとも貫一と柳之助との感情の真率なる点に於て、紅葉は決して通俗作家ではなかった。読者の多いということは通俗作家という反証にはならない。
暗黒な未来の暗(やみ)を辿(たど)りながら相擁して情死を遂げる者の心理には白熱した相愛の信仰があるからである。彼等の抱擁した瞬間には何者をも恐れず、何物をも放棄して意にも介しない強い安心があるのだろう。心なき人よ、それを迷妄と断ずる勿(なか)れ、凡ての物象、及び物象と物象との関係も亦(ま)た迷妄ではないか。


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浅海はこの間中、江口と共に遊び明かした夜々の面白さに引換えて、持つ物を持たないでは逢(あ)うことの叶(かな)わぬ昨日今日の悲しさ寂しさに、遣る瀬なく、過ぎ去ったことを思い侘(わ)びていた。
一体自分は、何時(いつ)から遊女は江口でなければならなかったであろう。……それは二月の十九日に一処に文学座を観(み)に行った時からであった。尤(もっと)もその時からばかりではない。――彼がこうして大阪の土地に予期したよりも永く滞留することになったのには種々な原因があった。彼は今独身である。五年前に七年の間同棲した妻に死別れたのだ。その妻は浅海に取っては実に第二の生命ともいうべき恋女房であった。その妻に亡くなられた彼の歎き悲しみは傍(はた)の見る眼にも無残でもあり、また可笑(おか)しいくらいでもあった。そうして五年の永い間、彼は亡くなった愛妻のことを思い悩んで、侘しい月日を経て来た。小説に書けば、「多情多恨」の中の柳之助には、葉山誠哉のような深切と興味とに富んだ友達もあるのだが、――また文学者以外の、もっと広い世間には穏(おだや)かな常識に富んだ人間もあるのだが、生憎浅海には其様な友達は一人もなかった。偶々(たまたま)古くから知っている人にはそういう性情とは最も相違した人間が多かった。彼は人と人との交友などという事に就(つ)いては表面(うわべ)は兎(と)に角(かく)、内心信用も依頼をも置いていなかった。
五年前にその妻の遺骨を故郷の土に葬って以来絶えて墓参もしなかったので、彼には最早(もはや)現世で唯一つの懸換(かけがえ)のない、親しい大切な者になっている老母をも久し振りに見舞いたし、一つは険しい文学仲間の、うるさい蔭言の世界から遠退(とおの)きたかった為に帰省を兼ねて京阪に漫遊を志(こころざ)したのであった。京阪は浅海の郷里とは余り距(へだた)ってないのみならず東京と往復の途中になっていたが、二十年来屡(しばしば)その間を往復していながら毎時(いつも)京阪を素通りばかりしていたのであった。
彼は、その五年の間独(ひと)りで鬱屈していた心の寂しみを自から傷(いた)わらんとて旅行(たび)に出たのであるが、それは畿内の土地々々を見歩いて、かねて自分の私淑している日本の二大文豪の作中に大きな背景となって表われている都会や田舎(いなか)の風土人情の変遷を観察したり、もし心の余裕が許すならば、奈良あたりの寺院に隠れて、頽廃(たいはい)した古い時代の建築絵画等を研究して、いくらか古典的な気分を養うて、永い間に段々酷(ひど)く破壊されている感情を養えよう、そうしてその古い整った建築美術などが与える安らかな感覚の世界に中世紀の僧侶などが努めて試みたような隠退した生活がして見たかったのだ。
けれどもそういう禁慾的な生活は凡俗の身には、どうしても年齢という自然の力を持たなければ行い難いのであった。浅海の肉体にはまだまだ若い血が流れていた。一夕ふと知り合った遊女は最初から、五年の間寸刻の間も絶えず彼の心の奥の何処(どこ)かに姿を留めている亡くなった妻の亡き影を斥(しりぞ)けて、その後に強い鮮かな形を印してしまった。彼はそれを殆(ほとん)ど自分にも不思議に思って考えて見たが、永い間萎(しな)びていた自分の心が、刻々に希望のある歓びに潤(うるお)って来るのが、丁度隠かな春の夕暮れに波打際に立っていて、夕潮の次第に高まって来る時のように感じられた。
「ああ、自分にはまだ恋の出来る力が残っていた」
と、浅海は一人で後めたくさえ思ったのであった。幸に旅の空でのことであるし、人には包んで彼はそれを独り心の奥深く楽しく秘めていた。


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その間には喧嘩をしてお茶屋の主婦(おかみ)が仲に入って取りなしたこともあった。
その仲直りの晩であった。しんしんと更(ふ)ける寒い冬の夜、平常(いつも)は客を通さぬ奥の間の部屋に二台の燭台を燈(とも)して男は浅海が一人、仲居などと火鉢の傍に寄り集うて湿(しめや)かに酒を酌(く)み交したこともあった。
「もう喧嘩するんじゃありませんよ」
主婦はわざと二人を叱るように東京口調で言った。江口も東国育ちである。
「旦那はん。あなた方あんまり仲が好すぎるからやおまへんかいな」仲居は酒をつぎながらいった。
「ナニ、仲が好すぎる処かそんなことをいうところの遊女が厭がるよ。私なんぞとは違った好い人がちゃんとついているんやもん」浅海は言葉尻を大阪言葉でいった。
「あなたが自家(うち)の大事な娘を啣(くわ)えて余処(よそ)に行(い)た罰が当ったのや。自家(うち)やったらもうこれからあなたに黙って挨拶に遣りやしめへん。そういうような時にはまたそういうてやることにします」主婦は締めくくるようにいった。
「お母ちゃん、あの晩遂々(とうとう))この人何といっても寝ないの」江口は子供のような鼻の詰った声でいった。
「へえ?」主婦は呆(あき)れた眼で浅海の顔を見た。
大阪や京都の女は皮肉の味を解しないほど生(うぶ)な点があった。
「お母ちゃん、そりゃ皮肉よ、私呆(あき)れましたの」
「なに、皮肉なわけでもないがね、一月に文楽座で南部太夫の夕霧を聴いて、炬燵(こたつ)の場の人形が面白かったから、私も一つ伊左衛門の真似をして、この夕霧にすねて見たのよ」
「はゝゝア。まあよかった!」
主婦と仲居は声を揃えて手を打った。
「夕霧様、さあ一つお酌(しゃく)」笑い止めると隙(すか)さず仲居は徳利を取り上げた。
「伊左衛門様、さあ一つお酌」
も一人の仲居も後れず徳利を取り上げた。


「喧嘩した後は、一層好くなるというのは真実ねえ」
二人だけになった時江口は浅海の肩に手を巻きながらいった。


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籠の鳥なる江口とは喧嘩をするにも資本(もとで)がかかった。
「此度(こんど)何日(いつ)来て?」
二階の関所で膝詰(ひざづ)めの談判をせられて、
「若旦那、もうおかえり。……この次ぎ。何日」
またもや階下の火鉢の関所でもう確定した事でも訊(き)くような主婦の力籠った言葉を、
「必ず近日々々」
と、芝居ぜりふで軽く受け流して帰ってから、心は矢竹に逸(はや)りながらも漸(ようや)く二十日も過ぎてから浅海は行くことが出来た。
「もし若旦那、若旦那の近日は二十日だすかいな。えろう遠い近日がおまんな」
主婦(おかみ)も仲居もとんとん二階の浅海の傍に寄って来て、声を揃えての総攻撃に浅海は防ぎかねている処へ江口も小走りに上って来て、
「随分長いわよねえ、ねえお母ちゃん?」
ひたと浅海に寄り添うてぺたりと坐った。
「もう解ったよ。……だから今日はそのお詫びに文楽に行くよ」
仲居の附いて行きたがるのを、主婦が忙しいからとて遣らないのを、二人は結句仕合せと、囁(ささや)き合いつつ、車の来るのを待ちかねて文楽座へと急がせた。
その時の狂言は前が義経千本桜で、中に中将姫を挾んだ。
浅海は湯屋に行って毎時(いつも)明いてさえいれば同じ棚に衣類を入れるような心持ちで、毎時買いつけた南側の桟敷(さじき)に通った。彼は其の高い処から下に並んでいる大阪の婦女(おんな)をば、毎時旅人の珍らしい心持ちで見るのであった。その日は江口と膝を並べて坐ってそこで食べるのを楽しみにして来た弁当を早速(さっそく)顔馴染(なじみ)の出方(でかた)に命じた。小蔭で欲しくない物を取換えながら小い弁当箱に入った鮮麗な鯛(たい)のおつくりなどを食べつつ、越路太夫(こしじたゆう)の鮓屋(すしや)を聴いた。
維盛(これもり)卿の弥助の人形は綺麗で、青い萌黄(もえぎ)がかかった着物に、紅(あか)い襦袢(じゅばん)の襟(えり)を覗(のぞ)かしたお里は可愛かった。
「……私は、お里と申して、此家の娘徒者(いたずらもの)、憎い奴と思召(おぼしめさ)れん申分(もうしわけ)。過つる春の頃、色珍らしい草中へ、絵に在る様な殿御が御出、維盛様とは露知らず、女の浅い心から、可愛らしい、いとおしらしいと思い初めたが恋の元。……縦令(たとい)焦思(こが)れて死ぬればとて雲井に近い御方へ、鮨屋に娘が惚れらりょうか。……」
「あれ、お里が焼ち餅を焼いているのよ、可愛いお里が。はゝゝゝ」
江口は興がった。
浅海は唯、遊女をつれて文楽座の桟敷に来て、快い太夫の声音や美しい情緒を奏(かな)でる太い三味線の音をわけもなく耳にしていればよかった。そうして思うままに、弛(ゆる)んだ心を音楽の音に連れて散乱せしめた。強(し)いて舞台を見ようとも思わぬ。強いて浄瑠璃(じょうるり)の筋を辿(たど)ろうと努めもせぬ。見るから昔しを忍ばしめるような古く黴(か)びた、天井の低い小い芝居小屋の中に響いている音楽は夢のような懐かしい心を唆(そそ)った。
幸い其処等(そこら)に客がいなかったので、浅海は横さまに少し行儀を崩しながら、江口はと見ると、遊女は自分とは相違して殊勝にも熱心に舞台の方を見入っている。その横顔を盗み見ていると、江口の小高い鼻筋の中程の処が線では描けないくらい心持ち高くなっている。それは何代かの美しい男女の遺伝を証する顔に屡(屡)見ることの出来る鼻であった。その下にはさも柔かそうな唇(くちびる)が蕾(つぼみ)のように結ばれていた。
「この女は夜の燈の下で美しいばかりじゃない、昼間見ても好い」
浅海はそう思いながら尚(な)を見廻していると、多い髢(かもじ)が割れたようになって分れている下から頭の後の方に白い剝(は)げが見えるように思えた。「おやッ」と思いながらよく眼を留めて見ると、剝げ処かそれは白い頸筋(くびすじ)であった。頸筋が頭と思い誤られるくらい多い髢が抜き衣紋(えもん)に着た襟の上に被(おお)いかぶさっていたのであった。
浅海はそういう物を見てますます心に美しい満足を覚えた。
舞台の上で狂言は進んで行った。浅海は「中将姫」を好まなかった。江口はそれをも飽かず見入っていた。
「あさは浮船が悪いんだわ……だけど本当に悪いんじゃないのよ」
そうして降り積る雪の上に割れ竹を以て岩根御前の為に断(た)え入るまでに打ち据えられている中将姫を、興奮したような顔をして凝乎(じっ)と見詰めた江口の眼に露が宿った。浅海は残酷な狂言を見ているよりもそれを見て女らしい同情をしている自分の遊女を見ている方がよかった。
「おい蜜柑(みかん)をくれ」
江口は黙ったまま薄皮まで綺麗に取っては一袋ずつ浅海の手に渡した。そうして時々自分も口の中に入れた。そんなことをしながら矢張り舞台に気を取られていた。
やがてその残酷な一場が終る。最後は南部太夫や源太夫が五人、それに三味線が六挺のつれ弾きで吉野山の静(しずか)別れの一幕が明いた。舞台は一面爛漫(らんまん)たる桜花の吉野山、遠見には青草の萌えたつ山をあらわし、東京や大阪の役者でも見ることの出来ぬ可愛い美しい人形の静が額一面眩(まばゆ)いばかりの花簪(はなかんざし)を挿し、両頰に長く黒い頭髪を切り下げて、賢そうな黒い瞳(ひとみ)で舞台の中程にいる。そこにはこれも眼の覚(さ)めるような緋縅(ひおどし)に金色燦然(さんぜん)たる黄金の胴の鎧(よろい)を着た忠信が従(つ)いていて、静は金扇を翳(かざ)しながら、忠信とからんでいろいろな心持を表(あらわ)した身振りがある。調子の張った三味線と、五人の太夫との合奏とで小い文学座が暫(しばら)く鳴り動揺(どよ)めいた。美しい引脱(ひきぬ)ぎが脱いでも脱いでもあった。
二人は夢のような美しさと微妙な音楽の音とに一と仕切り耳と目を奪われていた。
「もう帰ろうか」
「帰りましょうか」
「帰ろう」
出方が持って来て置いた新聞包みの中から、銘々(めいめい)に穿(は)き物(もの)を取って外に出ると、二人はほっとなった。
「静は好かったわね。……早く帰りましょう」これから先を楽んでいるように、遊女は浅海に身を寄り添いながらいった。


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その夜、春になったら一処に東京へ行く話が二人の間に初めて持上った。
「私、半分持つわ」
その言葉が何様(どん)なに浅海の心を動かしたろう。
そうして春々といっている間に、その春は思ったよりも急に来た。三月になってから浅海は、もう江口を自分の独占にしたというまでに思い募(つの)って来た。この辺で奈良の水取りまでといい習わしているその三月の中旬を過ぎると、遠く南の空を劃(くぎ)った葛城(かつらぎ)山金剛山から和泉(いずみ)の方の山々も今までの険しい黒い色とは見違えるように温味(あたたかみ)をもった淡い春靄(はるもや)を罩」(こ)めて来た。大阪の郊外を南に走る電車の窓からは広い麦の野が醒(さ)めるほど青い色に変っていた。微温湯(ぬるまゆ)のような春雨が、しとしととその野や野の単色を乱した森を濡(ぬら)していた。
そうして四月に入ると、どうかするともう物憂いような強い日が照った。難波(なんば)から心斎橋筋にゆく賑(にぎ)やかな通りの軒頭(のきさき)に花傘を翳(かざ)した紅提灯(べにぢょうちん)がずらりと掲げられた。不断でさえ明るい難波新地の入口と出口の頭の上に高く紅い花行燈(はなあんどん)が点(とも)されて、大勢の人間はその下をぞろぞろ往復した。葦辺踊(あしべおどり)や浪花踊(なにわおどり)が始まった。
浅海は江口を連れてそういう処を歩き廻った。つい此の間まで炬燵(こたつ)を入れて寝ていたのに、二人は蒸々して堪えられぬような夜を明した。
「また汗を掻きましょう」
江口は、浅海の心持を段々深く知って来た。浅海は、江口でなければ夜も日も明けないようになった。
青草を蒸(む)すような強い日が照った。感情の疲れた浅海は、焦々(いらいら)する心地で思いに任せぬ日を消していた。


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浅海は黙って暫(しばら)く休んでいた腰を漸(ようや)く縁側から持上げて、宿楼(やど)の方に歩みを運んだ。
帰るとすぐに昼飯になった。筍(たけのこ)と莢豌豆(さやえんどう)と鯛の甘煮(うまに)、鯛の汁に沢山な蓴菜(じゅんさい)、これだけは毎日のように変化がなかった。それが単調な強い、物憂い春の日のように浅海の食慾を鈍らすのであった。
すると午後になって電話が掛って来た。その主は思い掛けもなく江口であった。
「私、今晩あなたの処へ遊びに行くわ。今日は癪(しゃく)に障(さわ)ったことがあるから……七時と八時の間」
以外の電話に生き返った浅海は、夕飯を済して、やがて遊女の来る時刻を待ちかねていたが、心がそわそわして家の中に静(じっ)としてはいられなかった。そうして早くから公園の中の電車の停車場に出掛けて行った。七時と八時との間というのに、まだ停留場の時計は七時にもなっていなかった。彼はどうかして行き違いになりはせぬかと、それを気にしつつも一刻も早くその時間の来るのをもどかしがって、堪え難い僅かの数十分を思いまぎらす為に暗の中の公園を独りぶらぶら歩いた。
大阪から、行く春に遊び遅れた多勢の男や女が尚お幾組も隊を組んで押掛けて、松の樹の間の料理茶屋で飲みつ歌いつ、花見手拭を頸に巻いて馬鹿騒ぎをしていた昼間の賑かな人の声、物の音は黄昏(たそがれ)と共に寂しく静まって、宛(さな)がら山の中の一軒家のように離れて立った家々は何れも早くに戸締を急いで処々に突立った電燈の明りの蔭は、暗の中に散り後(おく)れた桜花(はな)が幽(かす)かに白く見えていた。
陰晴の定まらないこの頃の時候の常として、つい先刻まで星の見えていた空が何時の間にか一面に夕立模様の不穏な黒雲を以って蔽(おお)われた。
浅海は、どうかして少しも早く遊女をわが物とする身受の金を造るために、効(かい)なき心を焦(こが)してばかりいるこの日頃の屈託をば、せめて今宵の逢瀬(おうせ)に慰めようとして、毎時(いつも)の貸座敷で逢うのとは異った歓楽に松原の暗黒の中で彼自身も驚かるるばかり今更に心の稚(おさ)なびた胸を躍らしていた。
停車場に戻って来ると難波を出発した南海電車は勢いよく走って来て四五人の乗客を降すと、少しの猶予もなく忽(たちま)ち車掌の鳴す笛の音と一処に堺(さかい)の方に向って駛(は)せ去った。彼は不安な期待に悩みながら二三の電車を空(むな)しく遣り過した。
四つ目の電車が待つ間もなく走って来て留った。此度こそはと、胸の躍った予感は果して違わなかった。停車場の構外に立って、遠くの夜目に頸を伸して眺めている浅海の眼に、ボギイ車の中央の乗降口の処から、狭い踏み段を恐れるように用心しいしい、足許(あしもと)の方に俯向いたような姿勢をして降りて来る。繊細(かぼそ)い一線に前髪の高い銀杏返(いちょうがえ)しの横顔を暗の光に描き出した華奢(きゃしゃ)な婦人は確かに江口に違いない。
「此度は来た!」と、浅海は心の中でいった。
続いて降りた男と並んで歩きながら小さいプラットホームを此方に向いて来る女は、先方でも早く此方(こちら)を認めたものか、
軽い驚きと喜びとに身を揺(ゆす)るようにして笑いながら、
「ああ彼処(あそこ)に来ている、来ている!!」
と、女が覚えず高い声を出したのが浅海の耳まで達(とど)いたのであった。
連れの男は顔を上げて此方を探した。
「あれ、彼処に!」女は、此方を指で教えた。
改札口を出て来ると、江口は急いで浅海の側に身を寄添えて、
「この人、自家(うち)の男衆をしていた人、今途中で会ったから丁度私一人で寂しかった処だったから、此処(ここ)まで送って来て貰ったの。……どうも御苦労さま。もう帰って下さい。じゃ切符だけ私貰って置く」
女は掌(てのひら)を出して切符を男衆から受取った。
男衆を帰して、二人は電車の線路を向に渡り、睦(むつま)じそうに樹下暗(このしたやみ)に肩を並べながら、砂の多い踏み心地の好い公園の坦道(たいらみち)を真直(まっすぐ)に花崗石(かこうせき)の大鳥居の方に歩いて行った。
「あの男、どうしたの!」
「この間まで自家の男衆をしていたのだけれど、余り道楽が過ぎるもんだから暇を出されたのよ。……それで困るからッて、私に親方に謝罪(あやま)ってくれろ頼んでいるのよ」
「お前と何うかしているんじゃないかえ」
「憚(はばか)りながらそんな江口さんと違いますから御安心なさい。……私、も少し前に自家を出掛けたんだけれど、何だか暗くなって寂しかったから来るのを止そうかと思って一旦引返したの。そうすると丁度あの男が私に頼んでいた事はどうなりましたろうって訊(き)きに来たから、今から住吉に行く処だから送ってくれって、此処まで送らして遣った。意気地のない奴なのよ。私なんかにもへいこらへいこらしているわ」
遊女は、静かに悪毒気(あどけ)ない言葉でいった。
「……また、ひどく暗くなったわねえ」そうして黒い空を仰いで見ながら、「私恐いわ!あなた私帰る時にも其処まで送って頂戴」
「ああ、送って遣るよ。だが、大阪の箱廻しや遊女の男衆は、東京なんかと違って馬鹿に丁寧で素直だなア」
「そうよ、皆温順(おとな)しいよ、男の癖に女に頭を下げてばかしいるんだもの。あの奴等。……ああ曇った、雨が降って来たわ!」
遊女は浅海の掌を自分の掌で握ったまま佇立(たちど)まってまた黒い空を見上げた。
「降りゃしないよ」浅海も、そういいながら空を見上げたが、「降って来るかも知れないが、まだ降りゃしないよ。さあ早く私の宿楼(やど)に行こうよ」
「そう。降ってやしない?でも今冷たいものが顔にかかったよ」
「ナニ、雨じゃないよ。それは」
「じゃ、何だろう?」
「松か桜花の露が落ちたんだろう」
「そう、雨じゃないの。雨が降ると困る」わざと泣くような声を出して甘垂れた。
「雨が降ったって構わないじゃないか、傘もあるよ。でもお前の身体は紙で拵(こし)らえてあるの?」
「でも、今日は好い着物を着て出たんだもの、濡れると、困るわ」女は、また甘えるような声でいって、頸を曲げて乳のまわりを見た。
彼女は、絣(かすり)のよく揃ったはっきりした大島紬(つむぎ)の小袖の上に匂うような深い色の、紫紺の変り織の縮緬(ちりめん)の羽織を、よくあれで滑って落ちないと思われるように軽く被(おお)っていた。
「本当に降らない?降ってるわ!」
「降ってやしないよ。降ったら車でもあるじゃないか」
「帰る時に、あなた復(ま)たステーションまで送って頂戴よ」
「あゝあゝ送ってやるよ、男衆になってもお前の傍についていたいんだから。先刻、お前よく私が居るのが眼に着いたねえ」
「ええ、直ぐ分かったわ!……ああ、彼処に来ているナ。と、思った」
「俺にも、お前が電車を降りようとする時、その細い顔の形で直ぐ、ああ来たナ。と、分ったよ」
「嬉しかったわ。遠くから、あなたが立っているのを見た時、丁度活動写真見たようだった。……これから二人で大阪へ行って活動写真を見ようか」
「そんあことをしていられないじゃないか。早く行こう。……もっとぴたりと寄り添えよ」
浅海はそう言って握っていた掌で女を堅く引き寄せた。女は、ははと笑いながら、男の為(な)すままに柔順に体を附着(くっつ)けて歩いた。
「あなたの処に何か甘(うま)いものがあって?」
「ああ、あるよ。お前はもう夕飯は食べたんだろう」
「ええ」
「甘い寿(す)しが出来るの。それを拵えさすよ」
二人は緩(ゆる)く歩いた。
「あら犬が吠えているわ。寂しいのねえ。誰も通っていないわ。あれは何?白く見えるのは」
「桜花(はな)さ」
向うから暗の中を、酒機嫌の人声が近寄って来た。
「此方へお廻りよ」そういって、浅海は江口を自身の左側へ変らして、四五人の群れを遣り過した。
「あら、これが石の鳥居ねえ。私一遍来たことがあるわ」
「お客と?」
「違うわ!自家(うち)のお母ちゃんなどと一同で一日遊んで行ったわ」
大鳥居の処に、小溝(こみぞ)の水が五六間の間道の上に溢(あふ)れていた。
「ああ、一寸(ちょっと)お待ち、其処のところは水が流れていて歩き難いんだ。その下駄じゃ駄目だ。……私が負って遣ろうか」
「ああ、負って頂戴」
「誰も見ているものはないだろうナ」浅海は前後を見廻わした。誰も通っている者はなかった。
「さあ、手を掛けた」浅海は蹲(しゃが)みながらいった。
江口は黙って、しなうような両腕を静(そ)ッと背後から男の頤(あご)の下まで深く巻き着けた。浅海は柔かい温かい女の体温を背に感じた。頸筋の処に女の鬢(びん)の毛が非常な魅力を以って微(かす)かに触れた。
「おお、重い、小(ちいさ)いと思って負って見ると随分重い。……確乎(しっかり)捉(つかま)えておいで、大きなお尻だから手が掛けられやしない」
「嘘!大きいもんですか」
「いや、大きいよ。これ、こうして私の手が巧く掛けらないくらいだもの」
「大きかアなくってよ」
「いや、大きい大きい……そら!」
「ははあ!擽(くすぐ)ったい」
女は、浅海の背の上で身悶(みもだ)えした。
「もう厭や!」
「そら、もう降りるんだ」
浅海は背を低く屈めて、女の足を地に着けた。
其処まで来ると片側に立ち並んだ鄙(ひな)びた茶店から覚(おぼ)束ない火影が泥濘(ぬかる)んだ道を照らして、客もないのに、まだ表の一畳台の上に色の褪(さ)めた赤い毛布が掛けて、パン菓子などを入れた硝子(ガラス)の蓋の傍に蜜柑や林檎(りんご)が電燈を浴びて艶(あでや)かに光っていた。塩の塗(まみ)れ附いたうで卵の鉢も並んでいる。西洋御料理と白く抜いた長い紅提灯の軒先に吊された店にはうどんの看板や親子どんぶりの立て看板なども立てかけてあった。
「あなたの宿楼まだ先き!」
「も少し行って、彼処の処を左に曲ると直ぐだ」
茶店の前を通り越すとまた道が少し暗くなった。左側には別荘にでもするらしい屋敷に大きな花崗石で地形だけが仕放しにしてあった。右手の広い草原の彼方(かなた)に遠く紡績工場かなんかの大きな煉瓦の建物が見えて、けたたましい機械の響が夜の寂寞(せきばく)を破っている。幾つも並んだ窓から潤味(うるおい)のない明りが射していた。
「あの高いのは何?」
「あれは住吉の高燈籠さ」
「ああ、そうそう。私何時か上ってよ」
燈籠の火袋の中には大きな電燈が光っていた。


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二人は、その高燈籠の少し手前の大きな硝子の箱の中に乾涸(ひから)びたような鯛の切身を張り付けた角(かく)い大阪寿しを二つ三つ並べている家の角を左に折れて、塀の外を広く花崗石で畳んだ家の前を踏んで行った。
桜花の稚木(わかぎ)のさきざきに植えられた庭園に来ると、向うに見える薄暗い玄関を指して、
「あすこさ」
浅海は、旅の空の侘しく狭苦しい宿屋住居に堪えられない悲しさ寂しさを感ずるのであるけれど、江口ゆえにはその旅の空の不自由や不便をも辛抱しているのである。
「あなた、此の室にいて独(ひと)りで毎日何をしていますの?」
「心細い事をいって訊(き)くじゃないか。俺は此処で物を書く仕事をしているのじゃないか。そうして毎日々々お前の事ばかしくよくよ思っているんだよ。……一処になるといってながら、お前にはまだ私の商売が本当に飲込めないんだね?」
「そりゃ解っているわ。小説を書くんでしょう」
「そうさ!」
「毎日々々お前の事ばかし、くよくよ思っているッて。あはゝゝゝゝ」
彼女は男のいった通りの事を繰返して、嬉しいのか、どうしたのか、にたにた笑いながら、笑(え)み溢(こぼ)れるような黒味の勝った眼でまじまじと浅海の顔を見守った。小さく整然(きちん)と坐って、首を据えたような恰好(かっこう)をして此方を向いている顔が分らぬように微かに振れている。浅海が死別れたその妻にも何うかすると首を据えて顔を振る癖があったことを今ふと思い出した。
思うようなおいしいお菜が出来上って、それが幾種も餉台(ちゃぶだい)の上に並べられて、煮(た)き立ての白い御飯を茶碗に盛って、いざ箸(はし)を取ろうとする時に亡くなった妻は、ちょいとその茶碗を額の処まで持ち上げて頂く真似をしてそれから箸を着けた。その時餉台の向側に坐っている浅海と視線が行き合うと、彼の妻は唯眼に物をいわせながら心持ち顔を振った。
「これは、私の癇(かん)の所為(せい)ですよ」妻はいっていた。
そこへ誂(あつら)えて置いた。三つ葉の入った寿しが出来て来た。
「おいしいのね。あはゝゝゝゝ」
「沢山お食べ」
「ええ。……」
「何を笑っている?」
「……本当に一処になりましょうね。あはゝゝゝ」
伽藍(がらん)とした家に滞在の客は浅海一人であった。家は気味の悪いほど森(しん)としていた。
小さい部屋の中で電燈の光を浴びている彼女の匂やかな白粉の顔が微かに振れていた。


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「もう帰るわ」
「じゃ電車まで送ろう」
先刻の広い草原まで出ると、
「ちょっと待って頂戴。わたい、此処(ここ)に小用(しい)をするわ」
「じゃ、今自家(うち)でして来ればよかったのに」
「でもいいわ、階下(した)で屹度(きっと)そう思うもの」
そういいつつ、早くも闇の中に白い脛(すね)を巻くるのが見えていた。
翌朝浅海は、また其処を散歩すると、昨夕遊女が小用をした跡には輝く春の日の下に青草が伸々と萌(も)えていた。
 

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