青木繁書簡 明治44年2月24日付梅野満男宛
二月二十四日 福岡東中洲 松浦病院
福岡荒戸町縣立福岡工業學校 梅︀野滿雄様
拜啓大分暖かになった樣だが君の御一家は御無事であらふか
君が見舞に來て呉れた昨年末には僕の容態も頗良好であったが本年に入って數次嶮惡の症狀に
陷って轉地も何もかも見合せ今だに藥餌臭︀い寢臺の上に橫はって居る、而して依然瞼惡の徴候は
去らない、
每日の高熱に食慾衰退󠄁なので日々を羸瘦して行くのには心細い思をした、幸に此一週間は現量
を維持して居るし容態も稍良好だから大した事もあるまいと思ふ、
勿論理由なくして悲觀がましい事を云ふのでない、僕は旣う著しく健康を害して居るので醫者
の數字は明かに僕の餘命の甚だ多からぬ事を示して居る、口惜しい事だが難症の爲に囚けれて了
つたらしい、
攝生だに良好なら今後六七年は生けやうかと思つて居る、駭くでないか、不運󠄀なものは何處迄
も不運󠄀に出來て居てまだ人生の半途にも達せぬのに斯う呪はれては仕方がない、
誰も見舞に來てくれるものもない、而して今は鷄卵さへ買ふ金のない有樣で冷かな室に日に日
に味氣なく送󠄁つて居る、
今暫くだ、桃の花咲󠄁く頃は僕の健康には尤適當の氣候で、君!僕は衰殘の軀を提げて都︀下に
入るつもりだ、而して幾何もない剩生の限りを聊意義あらしめやうと力めて居るのだ、
悔︀んでも仕樣がない・・・・・・・・・・・・
肌着も汗古るくなつた、一つは破れた、けれ共買換へる金も今はない、貧と病は同盟して居
る、君百圓許の工夫はあるまいね、作畫の註文󠄁でもよい、君の學校當りではないか
靑木
梅︀野樣